能楽の家系に生まれ、大学生の時には世界を見たいと思い立ち、貨物船で渡米し、各地で能公演を行った。
その後、将来は独立をしたいと考えて外資系企業に就職。
会計士や税理士と仕事を共にするうちに日本の中小企業の後継者問題に直面し、M&Aの仲介を行う会社を設立した。
その後、中堅・中小企業のM&A仲介のリーディングカンパニーへと成長させ、東証1部への上場も果たした。
彼が大切にしている経営哲学とは?
さあ・・・日本M&Aセンター代表取締役会長 分林保弘様の登場です!
「限界までやる中で気付くこと」
企画をするのが大好きで、高校生のとき観光バスを借り切ってのスキーツアーや関西の息吹山を登るツアーを企画したりしていました。
赤字にしないために、観光バス会社や用具のレンタル会社と交渉していました。
大学3年生の時には世界を知りたくなってアメリカに行く決意をしました。
でも1965年当時は、飛行機代がサラリーマンの年収と同じぐらいの25万円もしていたので、学生にとってアメリカは憧れの地ではあるけれど、実際に行ける人はほとんどいません。
何か良い案は無いかと悩んでいたら、大学の部活で行っていた能をアメリカの大学で披露して上演料をもらうことを思いついたのです。
さっそく留学関係の本を購入して演劇を教えている大学なら興味を持つだろうと対象となる大学を調べて、その大学の学長に向けて「能を披露するので上演料を出してもらえませんか?」と50校に手紙を送りました。
そうしたら30校以上から上演のオファーをいただき4ヶ月かけて廻りました。
準備等でハードな毎日を送りましたが、この留学は本当にいい経験になりました。
帰国してからは、オリベッティという外資のコンピューター会社に就職しました。
当時オリベッティは世界で7万人を擁する会社だったので、グローバル企業の経営のシステムが学べるし、5?6年したら独立をしようと考えていたので外資の方が辞めやすいと思い、就職を決めました。
今までで一番辛かったのは、コンピューターの営業をしていて3ヶ月間営業成績ゼロが続いた時ですね。
ちょうど上司が替わったタイミングで、「今までの成績は全部前の上司がやっていたんじゃないのか」と詰められてずいぶん悔しい思いをしました。
そこからは、とにかく徹底して仕事をしてやろうと朝は誰よりも早く出社して準備し、社内のレポート作業などは深夜にまわして日中の時間は全て顧客訪問に費やしました。
半年間は、午前0時より前に帰った記憶がありません。
すると、結果がみるみるうちに現れ、結局その年は6ヶ月間で、年間の目標金額の200%を達成していました。
肉体的にも精神的にもギリギリでしたが、集中して取り組めば通常の4倍の成果を上げることができると分かりました。
限界までやることでポイントが見えてくることがわかったのです。
私が大切にしているのは、自利利他という言葉です。
自分の利益を追求しようと思ったら、他人の利益を追求しなくてはならないということです。
まず相手に与える。
そうすれば、巡り巡って自分に返ってくるのだと思います。