女性広告マンとして時代を切り拓いた伝説の「ビッグママ」が、本日登場のスゴい人。
35歳で離婚後、初めて広告代理店に就職。
ロエベ、フェラガモ、ポルシェ等、数々のラグジュアリーブランドを担当し、プレゼンで負け知らずの伝説の営業マンとなった。
その後、大手電通グループ会社に引きぬかれる。
そんな彼女だが、幼い頃から身体的なハンディキャップがあった。
しかし、60歳の時にカミングアウトするまで気づく人も少なく、一度も自分を障害者だと思ったことは無いという。
退職後は、海辺に住みながらプレスイベントを演出し、講演や執筆、テレビ出演など幅広く活躍している。
彼女はどのようにして身体的ハンディキャップを克服し、自らの道を切り拓いたのか?
さあ・・・PRプロデューサー飯野晴子様の登場です!
「人生は1本道」
3歳の時にポリオという病気にかかりました。
治療してポリオは治りましたが、左手に後遺症が残り、右手に比べとても細く握力も弱いために力を入れることがほとんどできません。
しかし、右手だけでできるからとテニスを習い、ピアノを弾いていました。
中学時代に出会ったピアノの先生が、
「なぜ左手があるのに左手を使わないの?手全体を使えば1音打てるでしょ。両手で弾けばどんなに楽しいか。やってごらんなさい。」
と右手で弾ける譜面に書き直し、左手で1音弾けるようにしてくださいました。
凄くうれしくて大興奮でした。
このことで、「戦略」を立てて工夫して努力すれば何でもできる事を学びました。
先生には本当に感謝しています。
この経験から私は、ハンディキャップは私生活でも仕事でも必ず克服できると確信しました。
大学を卒業して結婚し、子供も2人授かりましたが、その後離婚。
娘2人と一緒に暮らす為、35歳の時に初めて働き始めました。
当時の私はスキルもビジネスマナーもわからず、あるのは「やり遂げる」という信念のみでしたね(笑)
二度目の転職の中堅広告代理店では私よりひと回り以上若い男性社員ばかり。
女性は私一人の上に新米社員。
このハンディキャップをカバーするため、彼らの「ママ」になろうと思いました。
そして彼らに「ママって呼んでね。」と頼んだのです。
このアイデアが大成功!
みんなが「飯野ママ」って呼んでくれて、ママにはなんでもしてあげようって資料作りなど色々と助けてくれました。
たとえ血はつながっていなくても私のDNAを受け継いだ「子ども達」が立派に成長し、元気に働いている。
それこそがママである私にとっての大きな喜びです。
よく人から「運がいいですね」と言われます。
確かに大変な時も“お助けパワー”で乗り越えてきました。
誰かからアドバイスを受けたら「なるほど、そうか」と信じてありのままに受け止め、その後いいことがあれば「どうもありがとうございます」と心から感謝します。
そうしている人に、お助けパワーは働くのです。
何かを心に決めたら、その気持ちを大切に「今」行動に移してください。
そうしてこそ人は生き方を変えられるのです。
人生は1本道です。
怖がらずに進んで行きましょう。
◆飯野ママのデイリーコラム「潮風のベランダから・・・」
http://forf.allabout.co.jp/column/haruko-iino/
◆著書「飯野さんって、どうしてそんなに運がいいんですか?
http://www.amazon.co.jp/dp/4763132547
◆飯野晴子のセレクトショップ「みさきコンフィデンシャル」
http://www.misaki-c.net/
◆飯野晴子のオフィシャルサイト
http://www.iinomom.com/
※上記サイトは、一部携帯では見られない可能性があります。
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