人は楽しいことも怖いことも想像できる力を持っている。
現実には起こりえない恐怖を想像し、楽しむホラー漫画。
本日登場するスゴい人は、ホラー漫画業界の中でも徹底した恐怖感と生々しいスプラッタ描写で、読む者の心に決して消えないトラウマを刻みこむ。
1984年に『精霊島』でデビューして以来、『惨劇館』や『恐怖実験室』『魔夜子ちゃん』など多数のヒット作を生み出した。
更に、実写ホラー映画の監督もするなど、幅広く活躍を続けている。
さあ・・・漫画家 御茶漬海苔様の登場です!
「漫画の魅力」
実家が金物屋で小さい頃から店番をしていました。
高度経済成長期でもあり、商店街の活気は凄かったです。
漫画本は本屋に置いていない時代で、学校の向かいにある薄暗くて怖いお店に漫画本が沢山並んでいました。
勇気を振り絞って中に入るとそこは1冊1日10円で借りられる漫画本の貸本屋さん。
よく借りては真似して描いていました。
夏休みには外に出ず、部屋の床一面に世界地図を描き、手作りの戦争ゲームで遊んでいました。
誰かが作ったルールで遊ぶのではなく自分が作り上げた世界で遊ぶのが好きな子供でしたね。
高校では漫研を作り、大学では漫画の上手い人達に声を掛けて同人誌を作りました。
即売会では1日に数百冊も売れました。
大学3年、えびはら武司先生のアシスタントをしている時に黙ってあだち充先生のアシスタントに応募。
半年後に最終選考に残ったとえびはら先生の事務所に電話が入り、「何申し込んでるんだ?」と言われましたが、本人に逢いたかったので面接に行かせてもらいました。
選考には落ちたものの、帰りの電車で編集の方から「君は上手いからプロになりなさい」と言われ、その方が担当になってくれました。
実家を継ぐ事になっていたのですが、本当は漫画家になりたい。
大学卒業後、店舗兼自宅の自室に引きこもり漫画を描いていて、夕食を食べる時は毎回の様に喧嘩していました。
最終的に、漫画家になる代わりに毎月8万を家に入れる事となりバイトを始めました。
バイトをしながら土日の休みは一睡もせず、連載漫画を16P描き上げました。
始めはSFやロボット漫画を描いていたのですが、ホラー特集があったので試しに描いてみたら読者からの反応が異様に高かったのです。
ホラー映画が好きでしたので影響を受け、画風が他のホラー漫画家の方と違っていたんです。
実写ホラー映画も撮り、漫画では表現できない音やカメラワークは刺激的でした。
しかし漫画の編集からネームがなかなか通らず、漫画の中で壮大さを表現する工夫が欠けてしまっていたのです。
その時改めて、紙とペンだけで色々な空間を自由に表現できる漫画の素晴らしさを実感しました。
恐怖の世界を作るには、豊かな発想力と心が必要となります。
これからは脳科学などを取り入れ、恐怖の中に更に人間の奥深さを追求して行きます。
◆御茶漬海苔の館
http://ochazukenori.nobu-naga.net/
※一部携帯では見られない可能性があります。
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