1970年代前半、日本の玩具はソフトビニールやブリキの玩具が当たり前であった。
彼はこの当たり前の常識を覆し、玩具界に革命を起こした。
それが「超合金」である。
TVアニメの中に登場するヒーローを、そのままのイメージで作り上げたのだ!
マジンガーZ、ライディーン、コンバトラーVなどを次々に開発し、大鉄人17は150万体を売り上げた。
彼はどのような視点で商品開発をしたのだろうか。
そして、今の時代をどう思っているのだろうか。
さあ…
株式会社ライブ・ワークス
代表取締社長
村上克司様の登場です!
「子どもをワクワクさせられる商品を」
満州からの引き上げで奇跡的に帰国できましたが、5歳で母を亡くして父の手一つで育てられました。
父は満鉄で働いていましたが、帰国後は土木工学科の教師をしており、決して裕福な家ではなかったです。
厳格だった父から厳しく躾けられたお陰で、根性は付きました。
父の仕事柄、学生が提出した青図がいつも家にあり、幼い頃から図面を目にしていたのはその後の人生に大きく影響しました。
理数系の高校に進みましたが、希望の大学には経済的に行く事が出来ず、就職しました。
父から大手企業の推薦もあったのですが、私の夢はイタリアに行って車のデザインをすることだったので、まだ60名前後の会社で立派なブリキの自動車を製造していたバンダイを知り、入社懇願の手紙を書きました。
高卒でしたが快く受け入れてくれ、入社。
入社後も「ここで修業していつかはイタリアに行く」という夢を抱えていました。
10年でバンダイを退社し、フリーでの活動中にマジンガーZをアニメ完成試写会で見て、「これまでに無かったロボット」に衝撃を受けたのです。
バンダイの子会社であるポピーに勤めていた元上司に「マジンガーZで何か新しい商品開発が出来ないか?」と聞かれ、翌年にポピーに入社して開発を始めました。
当時の玩具は私から見ると、余りにもグレードもクオリティーも低いものでした。
テレビに出ているそのままのロボットを子どもに見せたい!子どもはリアリティのある商品を必ず選ぶはずだ!という想いで、リアリティのあるロボットを設計し、半年掛けて開発しました。
実際に出来上がった商品を子どもの目の前に出すと、一瞬にして目を輝かせ、掴んだら離さないんです。
実は、初号機は色々と不具合があったのですが、商品をお取り替えすると言っても、子どもが手放さないから仕方なく「大丈夫です」と言われる親御さんが多かったです。
今ではあり得ないことですね。
感性豊かな子どもに合わせた商品づくりは大切です。
車が売れない時代になっていますが、最近の大人は燃費やコスト面ばかりを考え、デザインはそれほど気にしていないように思います。
子どもが「僕の家はカッコイイ車に乗っているんだ」と目を輝かせる車も作って欲しいですね。
子どもの頃に手にした喜びや驚きは、大人になっても必ず心のどこかに残っています。
あの時代の子ども達に少しでも素敵な想い出を与えられた事が、僕は嬉しいです。
◆村上克司 公式サイト(近日公開予定)
http://www.murakami.works/