2012年「ミス・インターナショナル日本代表」に選出され、沖縄県で行われた「ミス・インターナショナル世界大会」に出場。
1960年より続くこのコンクールにて日本人として史上初となるグランプリを受賞し、ミス・フォトジェニックとあわせて2冠を手にした女性が本日登場するスゴい人。
世界を代表するミス・コンテストの一つで優勝を果たした彼女は、執筆や講演など幅広く才能を発揮し、現在は拠点をアメリカに移し、ハリウッドで女優として新たな挑戦をしている。
幼い頃から日本の国旗を背負ってオリンピックに出場することを目指していたが、ごく普通の女の子だったと語る。
彼女はなぜ、世界一になることができたのだろうか?
さあ…
女優
吉松育美様の登場です!
「リスクを取る」
父は陸上の400mハードルの日本チャンピオンで、モスクワ五輪の日本代表候補でしたが、ボイコットのために出場はかないませんでした。
幼い頃から父の金メダルを見て、父からは「2位も3位も予選落ちと同じ。1番になれ」と言われて育ちました。
父のためにも日本の国旗を背負ってオリンピックに出たいという想いが幼い頃からあり、高校時代は陸上競技に励みましたが、地元佐賀県内のチャンピオン止まりでした。
どうにか日本代表になれないかと考えていると、大学時代にミスコンと出会いました。
それから7年間、ミスコンで優勝することを目指して世界の様々なオーディションに挑戦しました。
最初はけちょんけちょんにダメ出しを受けて、この大会は行ける!と思った大会で3位に終わってしまったり、もう無理だと思う時もありました。
そんな時は、「神様は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉を思い出し、更に努力しました。
24歳の時にミス・インターナショナルの募集を知り、挑戦することを決めました。
その頃には私の挑戦を応援してくれる方も増えて、自分の為ではなく、両親や応援してくれる周りの方々のために優勝したい、やらなきゃいけないと思うようになっていました。
それでも、私が世界一になると本気で信じている人は私以外いなかったと思います。
私が一番、自分の事を信じていました。
日本代表になり、ここまで来たら世界一になろうと覚悟を決めました。
1年間、スピーチやウォーキングなど各分野の専門コーチをつけて、自分を磨き上げました。
やる事はやったから絶対に大丈夫だと、努力をしたからこそ自信を持つ事ができました。
しかしコーチからは、日本開催だからこそ日本人が1位をとるのは大変、すべてを完ぺきにしなければ1位は取れないと言われました。
私は「世界一になる」と宣言し続け、世界大会の直前に母校で行った講演でも「世界一になって帰ってくる」と宣言して、自分を追い込みました。
言っていいのかな?という怖さもありましたが、それが結果を分けたと思っています。
日本の若い人は安定志向が強く、リスクをとらない人が多いと感じます。
私は普通の女の子でしたが、同級生が就職する中、就職もせずに未来を保証されないリスクを背負って挑戦したからこそ、今があると思っています。
若い時はいくらでもやり直しがきくので、リスクを背負ってとにかくチャレンジしてほしいです。
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