本日登場するスゴい人は、漫画家として66年間活躍を続けるスゴい人!
戦前から愛され続けるマンガ「のらくろ」の作者・田河水泡氏に弟子入りし、14歳で漫画家としてデビューしたスゴい人は、師匠の田河氏より「のらくろ」の漫画執筆権を譲られ、80歳になった現在も現役で活躍し続けている。
代表作の一つ、『名たんていカゲマン』は2001年、NHK教育テレビで『探偵少年カゲマン』としてテレビアニメ化された。
2010年、これまでの全業績に対して、第39回日本漫画家協会賞特別賞を授与された。
長きにわたる活躍の秘訣とは?
さあ・・・
漫画家
山根青鬼様の登場です!
「出会いに感謝」
幼い頃から、双子の弟と二人でいつも絵を描いて遊んでいました。
小学校に入った頃にはマンガを書くようになり、のらくろが好きでよく真似していましたね。
当時は戦争が激しい頃で、空襲が激しくなったので富山へ疎開しました。
絵の上手い双子と学校内で話題になり、小学校の学校新聞に頼まれて4コママンガを描いていたら、地元の新聞で取り上げられて話題になりました。
中学2年生の頃、北日本少年新聞に弟と二人で連載をするようになり、それを見た田河水泡先生が東京から会いに来てくださったのです。
そこで、「この子たちには才能があるから上京させてくれ」と両親に話してくださいました。
中学卒業後、父は職を捨て、家族で東京へ出てきました。
昼間は毎日マンガを描いては先生へ送り、週に一度は4コママンガを10本ずつ持って先生の所へ会いに行きましたが、先生はいつも何も言ってくださらない日々が3年間続きました。
親を連れて東京へ出てきましたので、小さい頃は漫画家になりたいという気持ちでしたが、その頃には「ならなければいけない」と思うようになっていました。
ちょうど3年が経った日、先生から初めて言葉を頂きました。
「今までの原稿はすべて読んで面白かったが、忍耐力を試していた。この忍耐力があれば大丈夫だ。必ずプロとしてやっていける。」と言って下さったのです。
それから、次々に依頼が来て、雑誌での連載なども始まりました。
締切に追われたり、苦しい事もありますが、好きなことだから嫌だとは思いませんでした。
それに、弟と二人だったので、徹夜していても二人一緒だし、大変な時には助け合える。
仲間でありライバルなので、彼に負けないものを描きたいから競い合って良い物を描けました。双子で良かったです。
どんなに連載が沢山あっても、全部の作品を毎回面白くすることを心がけてきました。
毎回喜んでもらえなければプロとは言えないので、気を抜くことはできないのです。
私が66年間活動して来られたのは、漫画を描く事に理解があり応援してくれた両親や地元富山の人、学校の先生、そして素晴らしい師匠など、たくさんのすばらしい方との出会いのお蔭です。
いつも本当に感謝しています。
今までは子どもたち向けのマンガを描いてきましたが、今後は年配の方向けのマンガも描きたいと思っています。
これからも、子どもたちには夢を、お年寄りには笑いと希望を持ってもらえるマンガを描き続けます。
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