本日登場するスゴい人は、日本有数のPR会社である株式会社サニーサイドアップ創業者のスゴい人。
彼女は会社員時代に2人の娘を育てながら様々な商品の営業活動でトップセールスを記録。
40歳で離婚し、42歳で長女と共に自宅だったワンルームマンションで、カネなし、コネなしの状態から起業。
大阪証券取引所ヘラクレスへ上場するなど、創業当初より同社を成長させ続けている現社長の母でもある。
2013年には、自身の経験からおせっかいの必要性を伝えるべく、一般社団法人おせっかい協会を設立した。
彼女が大切にして来たこと、そしてこれから起業する人へ伝えて行く事とは何か。
さあ
株式会社サニーサイドアップ 創業者
一般社団法人おせっかい協会 創始者
高橋恵様の登場です!
「おせっかい」
父は二十代の頃に大東亜戦争で戦死しました。
母は大きな病院の院長の娘だったのですが、事業で失敗してしまいました。
借金で父の形見の指輪までも取られて無理心中まで考えていたそうです。
生活が苦しく、私は妹と別れてよその家に行くことになりました。
そこで壮絶なイジメや虐待に遭いました。
トイレの窓から、大空に羽ばたく鳥を見て、いつか私も自由に羽ばたける人生を送りたいと思いました。
後ろを振り返らず、前だけ向いていこうと思ったのが14歳のとき。
それから高校、短大とアルバイトをしながら通い、非行少年の面倒も見ていました。
就職先の営業の仕事も、絶対に途中で諦めないという信念とポジティブな考えでどんどん売れました。
1985年、42歳でPR会社を立ち上げましたが、人脈もコネも何も無いので104で電話番号を調べて毎日テレアポを続けました。
ある会社の社長に会いに行き、「既に付き合いのある広告代理店もあるし、実績の無いあなたとは付き合えない」と断られた帰り際、社長が誤ってカッターで指を切ってしまったのです。
会社を出てからも怪我が気になり、おせっかいですが、薬局で止血剤などを買って届けました。
怪訝な顔をされてはいましたが、嬉しかったと言って下さいました。
それから半年後、社長から連絡があり「あの時のお礼だ」とCMの仕事を頂けたのです。
大阪への営業も「東京から来られても無理です」と電話を切られた瞬間にこの人に会おうと決め、実際に足を運ぶと、「あんな断られ方して実際に来た人は初めてだ」と笑顔で迎え入れてくれて、仕事まで貰えました。
「即行動疾走せよ」、石橋も叩く前に渡り切るのが信条です。
今は情報をすぐに入手できるので知ったつもりになっている人が多いですが、行動を通じて人間力を付けて欲しいですね。
第二の人生としておせっかい協会を立ち上げました。
人との繋がりが希薄な現代社会で、心で繋がりお互いに手を取り合い協力しあって生きていく社会を実現するためです。
私は楽しかったことも、辛かったことも全てさらけ出します。
そして、これから起業する人に私の経験を役立てて欲しいです。
◆一般社団法人おせっかい協会
http://osekkai.jp/
◆著書『幸せを呼ぶ「おせっかい」のススメ』
http://www.amazon.co.jp/dp/4569802524
◆2016年3月発売予定
『人生は何歳になっても楽しい(仮)』文響社
人生の集大成として大事にしてほしいことを書き下ろしました
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