1988年、映画監督や俳優を目指していた同郷の相方と組み、コンビ芸人としてデビュー。
それまでに無かった芸風で一世を風靡した。
その後コンビ活動を休止し、得意なダンスでエンターテイメントを追求した喜劇舞台をやるため劇団を創ったが、全く生活が出来ず、どん底を経験することになる。
地道に活動を続けて舞台で認められだした頃、再びお笑いの世界へ。
突然出場した「R-1ぐらんぷり」で決勝へと進み、再ブレイクを果たした。
さあ…
喜劇俳優
芋洗坂係長様の登場です!
「あくまでも喜劇役者として」
子どもの頃から人前に出るのが好きで、小学生の頃は田原俊彦さんのダンスを真似て、クラスのみんなを喜ばせていました。
高校生にもなると規模が大きくなり、校内放送で呼び掛け、ダンスショーを見せたりもしていました。
進学校だったので大学進学を勧められましたが、どうしても進学意欲が湧かない。
当時設立したばかりの京都のダンス専門学校へ進みたいと言うと、親にも学校にもずいぶん反対されました。「逃げているだけだ」なんて。
でも、担任の先生だけは応援してくれて、一緒に親を説得してくれました。
先生がいなかったら、今ここにいないと思います。
専門学校卒業後は、先生の授業のアシスタントをするために東京へ。
そんな時に組んだのが「テンション」でした。
相方の田口浩正君は映画監督や俳優を目指していて、お互いにチャンスをつかむきっかけとして、お笑いコンビを組みました。
そんな二人が作ったネタはそれまでは全く無かったもので、今流行っている「リズムネタの元祖」なんて言われる方もいますね。
お笑いとして売れ出すと、相方は周防監督の映画に出演することになり、そこからは俳優活動が中心となって、コンビは休止状態。
私自身も舞台での活動が増えていきました。
総合エンターテイメントを追求した劇団を立ち上げましたが、それだけでは全く生活が出来ず、まるでヒモ状態で、結局妻から三行半を突きつけられました。
子供とも離れて、どん底でしたね。
地道に十数年間活動を続けて、池袋演劇祭で大賞をとって。
その時に、今まで周りの方々の支えがあったからこそ、やってこられたのだと実感しました。
同時に自分1人の力を試したくなり、「R-1ぐらんぷり」に出場しました。
出場を決めたのは、離れて暮らす息子の存在が大きかったですね。お笑い好きで、バラエティを観ながら「お父さんも出れば」なんて言っていましたから。
元々「芋洗坂係長」は舞台で生まれたキャラで、ショーパブなどでも散々やっていたネタでしたが、1人でネタをするのは初めてでしたので、緊張でガチガチでした。
決勝の日に「日本一になってくる」と大見得を切ったのですが、結果は準優勝でした。
それでも「父ちゃんが一番面白かった」と言ってくれました。
それ以来バラエティ番組からオファーを頂きますが、今後もあくまでも「喜劇役者」として舞台で活動していきたいと思っています。
舞台をまだ見たことのない方も、ぜひ一度劇場に足を運んでみてください。
◆芋洗坂係長 所属事務所 えにしんぐエンターテイメント
オフィシャルサイト
http://imoaraizaka.com/
◆出演舞台「ホンク」
4/4?4/11全労済ホール/スペース・ゼロ
http://puremarry.com/html/file_honk3.htm