夏の風物詩であるお化け屋敷。
このお化け屋敷を独自の手法で進化させた人がいる。
総動員数は600万人を超え、今では東京をはじめ全国に広がっている。
今年も10個所近くでお化け屋敷を手がけている。
どのようにして「お化け屋敷プロデューサー」という職業が生まれたのだろうか?
さあ…
お化け屋敷プロデューサー
五味弘文様の登場です!
「お化け屋敷から地域振興」
子供の頃から臆病で、色々なものや事が怖くて不安でした。
自分が大人になることも、社会に出ることも怖いので、積極的に社会と関わらず、生産性の無い仕事をしたいと思っていました。
周りの友達の純粋で元気な姿を見れば見るほど、自分とは全く違うのでコンプレックスを感じていました。
結局、常に何かにおびえているのは今も変わらないのかもしれません。
学生の頃に劇団を立ち上げ、脚本と演出を担当していました。
定職にも就かず、10年以上も食えない芝居を続けていたのは、芝居が唯一社会と自分を結びつけるものであり、それを失う恐怖もあったのだと思います。
イベント系のアルバイトを何年も続けているうちに、色々な人間関係が構築され、後楽園ゆうえんち(現在は東京ドームシティ アトラクションズ)のルナパークが始まって2年目に、企画制作チームに誘われました。
最初の企画は、日本を代表する舞踏集団“大駱駝艦”の麿赤兒氏と出会い、白塗りのダンサーがお化け屋敷の闇の中から現れたら怖いだろうという単純な思いつきからスタートしました。
恐る恐る麿氏に提案したところ、興味を持ってもらえたので形になりました。
その後、ルナパーク自体はなくなったのですが、東京ドームさんから私の仕事を評価して頂き、直接声を掛けて頂いて、お化け屋敷の企画は継続となりました。
2011年、広島の街中でお化け屋敷を作ったのが、初の街中お化け屋敷でした。
それまで街中のお化け屋敷なんて成立しないと思っていましたが、大成功。
成功した要因の1つは、地方の遊園地がどんどん無くなって来ているという背景が大きく影響していると思います。
そのため、お化け屋敷が貴重な存在となっていて、ニーズが高まっていたのです。
先日、小学生の頃に書いた「お化け屋敷」というタイトルの戯曲が出て来ました。
子供の頃から社会に溶け込むのが苦手だった私が成功したのは、長い時間をかけて「この仕事とはどういうものなんだろう?」という疑問について自分の頭で考え続けて来たからだと思います。
僕が企画制作したお化け屋敷を、地域の人や地元の人が「自分達のお化け屋敷」という感覚で捉えその後、皆で作り上げ続けて行ってもらう事が何より嬉しいです。
単なるお化け屋敷ですが、お化け屋敷をきっかけに街の未来などを少しでも考えるきっかけになってくれたら尚嬉しいですね。
◆現在開催中のお化け屋敷
・東京ドームシティ アトラクションズ「呪い指輪の家」(9月23日まで)
・梅田お化け屋敷「呪い指輪の家」(9月6日まで)
・栄・矢場町お化け屋敷「呪いの子守唄」(9月13日まで/9月19日?23日)
◆オフィスバーン
http://www.officeburn.jp/