つけ麺で有名な人といえば東池袋大勝軒の山岸一雄さんであるが、その山岸さんが慕っていた従兄弟と一緒に始めたお店で、つけ麺が生まれた。
そのお店こそ、中野大勝軒。
創業は昭和26年。
今でも変わらぬ味を継承しつつ常に進化し続けるラーメン屋。
今日は、中野大勝軒を牽引するスゴい人の登場だ!
なぜ、流行るラーメン屋になったのか?
あまりに忙しすぎる繁盛店の苦悩とは・・・
さあ・・・中野大勝軒 代表 坂口光男様の登場です!
「呼吸を意識しよう」
私は、当時代々木上原にあった大勝軒に生まれました。
朝は製麺機の稼働の音とともに起きて、石油バーナーで煮込んだ豚ガラスープの匂いが充満する厨房の脇を通って学校に通う毎日でした。
大学を卒業し、就職活動をしたものの、人手不足という理由もあり家業の大勝軒を継ぐことになりました。
子供の時からずっとこの商売には触れていたので、違和感はなかったつもりでした。
しかし・・・実際に働いてみると、想像をはるかに超える環境でした。
私の父は、客の注文を聞いて伝票を書くという行為を野暮として、一切、認めてなかったのです。
すべてのお客様の顔と注文を覚え、客の一言、“いつもの”という注文だけで一切間違わずに、お客様ごとにラーメンを出していたのです。
それが人気に拍車をかけ、常にお店には大行列。
商店街をグルっと行列が囲んだこともありました。
1日数百人の客をさばき、食事など取れず、トイレも行けず、水すら飲めず。
しかも、大行列のすべての客のラーメンを覚えなければならないやり方。
そんな環境において、私はすぐに自律神経をおかしくして体重も7キロも減り、それでもフラフラになりながら、対応を続ける日々。
うまいラーメンをつくりさえすればそれでいいという私の考えは、すべてふっとばされました。
厨房の暑さと疲れで意識が朦朧として水を取ることさえできない中、意識が自分の“呼吸”に向き始めたのです。
出来る限り横隔膜を上げて腹部で酸素を少しでも多く取り入れることで血流を良くする。
呼吸を意識し始めることで、私はやっとこれらの厳しい環境を乗り越えられました。
どんな環境でも、自分の呼吸だけは自分でコントロールできます。
ストレスなどによって、呼吸が小さくなっている、そんな時は、呼吸を意識してみてください。
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