音楽大学を卒業後、私立高校で音楽教師をしていた本日登場のスゴい人。
それがある時、ユニット「アンティカ」として文化放送主催のオーディション『ザ・スーパーオーディション“プロになっちゃえ”』で2000組の中からグランプリを獲得し、ミュージシャンへと転向。
1997年にユニットとしてデビューし、KONISHIKIさんとのデュエットや音楽番組の司会、音楽雑誌での連載、楽曲提供、ソロデビューと、幅広く活躍をしてきた。
彼女は苦労をしていないと語るが、明るく前向きな考え方にはそれを支える強い信念があった。
さあ・・・シンガーソングライター 大西亜里様の登場です!
「幸せは自分の心が決める」
幼稚園生の頃からピアノを習っていましたが、決められた曲をこなすお稽古が苦手で小学生で辞めてしまいました。
その後もピアノで好きな曲や頭の中で流れている音楽を弾き続け、高校時代はバンド中心の生活。
音楽はずっと好きでしたが、音大進学など考えてもみませんでした。
ところが、
「音楽が本当に好きならその道も考えてみたら?」
と父から言われ、声楽家の先生のもとを訪ねたのです。
マイクを使わずとも響き渡る先生の歌声を聞き、衝撃を受けました。
この時にクラシックは全ての音楽のベースであると気付かされ、今後オリジナル曲を作るにしても
クラシックを学ぶ事が大切だと思い、高校2年生の秋に音大受験を決意しました。
熱心な教授の下で4年間どっぷりと声楽を学び、教育実習をきっかけに教師になる事を決めました。
音楽教諭の募集枠はとても少ないので、高校受験案内を買って私がやりたい音楽教育をできそうな学校を調べ、音楽教員の空きを探して就職し、教師生活を始めました。
教師をしながらも、私はJポップの曲を作りたかったので大学時代の友人とユニットを組んで活動していました。
ライブやデモテープ作りの他に地元のラジオ番組でDJをして番組内で自分達の曲を流していると、応援してくれる人が増えてきました。
ある日、オーディションの最終選考に残ったと知らされました。
リスナーの方が私達の曲を録音してオーディションに出していたのです。
まさかグランプリになるとは思っていませんでしたが、頂いたチャンスに挑戦しようと受賞をきっかけに教師を辞め、デビューすることとなりました。
ユニットでのデビュー後、KONISHIKIさんとデュエットでツアーをしたり、バックコーラスや音楽番組の司会をしたりと色々な経験をさせて頂き、目標であったソロデビューもすることができました。
周りの方からは苦労に思えることもあるのかも知れませんが、私は苦しむのが嫌なので常にポジティブに考えるようにしています。
成功も失敗も、永続はしません。
自分の人生が成功か失敗かなんて終わる時まで分からないから、人生で1回でも多く心から笑って楽しんで、幸せ感を感じる事を大切にしています。
今は、音楽療法について、より専門的に学ぶ為、医学部の研究生として勉強をしています。
以前は若返りを中心にお年寄りのための音楽療法を広めていましたが、音楽は親子の絆を深めますので、今後は妊婦さんの為の子守唄のレッスンなどもしたいと考えています。
◆大西亜里ホームページ
http://www.officetouch.co.jp/cgi-bin/officetouch/siteup.cgi?category=1&page=1
◆大西亜里のミュージックセラピーな日々
http://blog.oricon.co.jp/onishi_ari/
※上記サイトは、一部携帯では見られない可能性があります。