本日登場するスゴい人は、女子プロボクサーで初の世界2階級制覇という偉業を成し遂げたスゴい人!
しかも、ミニフライ級からスーパーフライ級へ3階級とびでの2階級制覇だ。
これまでに、初代OPBF東洋太平洋女子ミニフライ級王者、第4代WBC女子世界ミニフライ級王者、第6代WBA女子世界スーパーフライ級王者と、3つのタイトルを獲得した。
初の世界タイトルを獲得したWBCの試合は、当初2011年3月12日を予定されていた。
宮城県出身の彼女は、地元の人たちのお蔭でベルトを取ることができたと語る。
さあ・・・プロボクサー藤岡奈穂子様の登場です!
「地元のために」
ボクシングを始めたのは、ソフトボールを辞めて「このままじゃ嫌だ」と思っていたからでした。
次は良くも悪くも結果がダイレクトに自分に返ってくる個人競技に挑戦しようと考え、地元のアマチュアボクシングジムを訪ねました。
はじめは1番になれたらいいなという気持ちでしたが、入門して1年後の大会で新人王になった時に悶々としていた気持ちが晴れました。
個人競技は全部一人でやるものだと思っていたけど、一人では練習もできなくて、周りの人たちのお蔭でできているんだと気づいて、周りに感謝する事ができたのです。
30歳を過ぎた頃に女子のプロが公認されるようになり、今のジムから「プロにならないか」と声をかけて頂きました。
プロになっても生活の保障は無いし、迷いもありましたが、やらないで後悔するよりもやってみようと東京に出てきました。
でも、東京に出て来てからはつらかったですね。
試合は順調に勝っていてもプレッシャーもあるし、いつまで競技を続けられるかも分からないし、とにかく帰りたくて仕方がありませんでした。
そんな中、2010年の東洋太平洋で勝利し、ボクシングをもう少し続けたいなと思い始めた頃、世界挑戦のチャンスを頂きました。
そして、2011年3月11日。試合前日の計量を終え、ジムに戻っている途中で東日本大震災が起きました。
ニュースを見ると、地元宮城県が被災している。
心配して電話をしてもつながらず、翌日の試合がどうなるのかも分からず、どうしたら良いのか分かりませんでした。
深夜に家族と連絡がつき、頑張ってと言ってもらったものの、結局試合は中止になってしまいました。
協会の働きかけもあり、試合は5月に延期されましたが、5月までの間、地元に帰りたいけれど帰ることもできず、「みんなが大変な時にボクシングをしていて良いのか」という迷いもありました。
でも、地元の藤岡後援会の会長から「今は藤岡さんの試合しか楽しみが無いから頑張って!」と電話で言われ、気合が入りました。
地元のために絶対にベルトを取って炊き出しに行くんだと心に決めたら、試合中は攻める気持ちしかありませんでした。
あれは、みんなの力で取らせてもらったベルトなんです。
今年11月8日の試合で3階級目にチャレンジします。
挑戦するときはいつもワクワクしますね。
私は、いつも今あるものを一生懸命やるようにしています。
目の前の事を一生懸命にやれば、自然といい流れがやってくると思うのです。
◆竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム
http://box-fitness-gym.com/pc/
※一部携帯では見られない可能性があります。
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