本日登場するスゴい人は、大日本プロレス会長であり、現役最高齢のプロレスラーのスゴい人!
彼は角界を経て、1961年12月にプロレスの世界へ入り、日本プロレスの父・力道山さん最後の弟子となった。
その後アメリカに渡り、大熊元司選手とのタッグで大活躍。
帰国後は全日本プロレスのマットで一時代を築いた。
1994年、仲間と共に大日本プロレスを設立。
さらに2015年、73歳の彼は両国国技館でベルトを奪取し、現役最高齢レスラーとしてタイトル保持記録を更新している。
その一方で、東日本大震災の継続的な支援や、未来に向けた植樹活動を続けている。
彼はなぜ常に前向きでいられるのだろうか。
さあ…
大日本プロレス 会長
特定非営利活動法人 資源を増やす木を植えましょう 理事長
グレート小鹿様の登場です!
「やり遂げる姿勢を次世代に」
私は子どもの頃から同級生より抜きんでて体格が良かったのですが、特別な運動はしていませんでした。
日常生活に関連する行商をしていた父が失明し、小学3年の頃から親の仕事を手伝っていたので、友達と運動をして遊ぶという生活とは無縁でした。
17歳のある日、生まれ故郷の北海道から出ようと一念発起。
故郷を飛び出し、函館駅の青函連絡船乗り場まで行った時、桟橋で元横綱の千代の山(九重親方)と後援会の方が偶然声をかけてくださり出羽海部屋に入門しました。
しかし、部屋でのイジメがどうしても許せず部屋を出まして。
この先を考えていた時にテレビでプロレスを見て、可能性を感じて力道山先生の下に入門させていただきました。
練習は本当に厳しかったですが、私は「決めたらやる」性格。辛いとは思いませんでした。
先生が急死された時はショックでしたが、辞めようとは思いませんでした。
1967年、25歳の頃に大熊元司選手と2人で渡米しました。
苦労とは思わなかったけれど、語りきれないほど色々な事がありましたね。
お客様から「あの選手凄かったよね」と言われたくて、一番目立とうとしました。
そのために、何事も自分で考えて自分でやりました。
帰国後、紆余曲折を経て21年前に大日本プロレスを仲間と設立しました。
角界での体験を教訓に、会社の方針は「イジメはさせない」。イジメをする空気を作らないようにしています。
一度、会社が本当に厳しい時がありました。
それを盛り返してくれたのは、当時入門し今は主力選手として活躍している選手たちの頑張りです。
そして社長の登坂栄児くん。彼がアイデアマンでね。彼とのタッグで今があります。
さらに、若手の成長が新陳代謝を促す追い風になっています。
21年目を迎えましたが、集大成はまだまだ先。
新日本プロレスさんを抜いて業界1位になった時こそ集大成の時です。
私は現在、プロレス業界に身を置いて54年目です。
この人生は皆様あってこそ。その恩返しをしたくて植樹活動を始めました。
日本には様々な社会課題がありますが、出来る事から自分たちでやり遂げる努力を通じて若者が夢を持てる世の中へ繋げたいと思います。
「国があなた方に何をしてくれるかではなく、あなた方が国のために何ができるか(J・F・ケネディ)」です。
何事も向上心があればこそ。
私は決めたらやる。これからも向上心で活動を続けます。
◆大日本プロレス
http://www.bjw.co.jp/
◆小鹿注意報!
http://blog.livedoor.jp/g_kojika/