世界で上演される舞台舞踊、バレエ。
フランスで発祥し、世界へと広がった。
旧ロシア帝国の宮殿“クレムリン”
現在この国立クレムリン宮殿内で働く人は、全てロシア人。
そして6,000人収容できるクレムリン・バレエ団の劇場でも、ロシア人しか舞台に立つことができないといわれていた。
しかし5年前、上級ソリストとして日本人女性が舞台に立った。
これは外国人として初の快挙であった。
彼女はバレエを通じて何に気付いたのだろうか?
さあ…
Kremlin ballet
プリンシパルダンサー
小池沙織様の登場です!
「道は拓ける」
3歳の健康診断でお医者さんから運動を勧められ、母がバレエ好きでしたので教室に通い始めました。
高校生の時は山梨から八王子まで片道3時間かけて、1日おきにレッスンに通いました。
勉強も夕食も全て電車の中。
進路を決める時に、大学はいつでも行けるけれどバレエは年齢制限があるので、バレエを選びました。
そして昔からバレエ=ロシアでしたので、ロシア国立ペルミバレエ学校にビデオを送り、合格。
ロシア語は話せなかったので、最初はジェスチャーを使いコミュニケーションを取りました。
3ヶ月程経つと楽しくなり、短期のつもりでしたが卒業して国家試験も受けたいと思うようになり、編入して本格的にロシアスタイルを学び始めました。
非常に大変でしたが、辞めたら親の苦労まで無駄になるのが許せず、やるしかありませんでした。
国家試験を主席で合格し、卒業して、夢だった国立の劇場に就職は出来たものの、月収2万円位で生活をしながら、踊りたいのに東洋人であるが為に踊れず、壁にぶち当たりました。
日本にいた時はバレエ向きの体型だったのに、ロシアでは逆に不向きな体型で、小柄な体型と東洋人という壁をどうしても超えられず、21歳の頃バレエを辞めようと思いました。
フィアンセから「結果を出さないで辞めたら後悔するから、最後の記念に国際コンクールに出よう」と言われ、そこで出逢った先生に、バレエの表現の楽しさに改めて気づかせて頂き、最後だから思いっきり楽しく踊ったのです。
それを見ていたディレクターに声をかけてもらい、地方の国立劇場に移籍しました。
そのカンパニーは居心地が良く、お蔭で永住権も取得したのですが、その先の成長は見込めない。
怖いけどチャレンジしようと決め、長年の夢だった国立クレムリンを受けました。
すると、10年夢見続けて来たクレムリンの扉が開いたのです。
小柄であることをクリアーすれば、プラスの経験になると考えるようになり、それからは小柄な体形をカバーする魅せ方や動きを常に試行錯誤し続けました。
目の前に壁があったら、いきなりは無理なので少しずつ片付けることです。
常に夢は頭の中に置いて、道を諦めないで進み続けると、たとえ遠回りだとしても、道は拓けてくるのです。
去年、彼とも結婚してロシアのバレエ大学にも通い始めました。
幼いころ、向井千秋さんが「夢は叶う」と言っているのを見て、その言葉を純粋に頑なに信じて来たのも今に繋がっています。
◆劇場ホームページ
kremlinpalace.org