試合中の事故による全身麻痺から、再度リングに立つと決めたスゴい人!
子供時代はいじめられっ子だった。イラストが上手な子だった。自分自身でイラストしたマスクをかぶってリングに立つプロレスラーになった。夢が手に入った!そう、思った矢先・・・事故が起きた。
頸椎を損傷、そして、全身麻痺の重傷。でも、諦めない!
さあ・・・ハヤブサ様の登場です!
「あきらめない」
子供の頃からプロレスラーに憧れていたのですが、187cm、57kgの私がなれるとは思っていませんでした。
周りが就職を意識しだした22歳の時に親のコネを使って就職をすることにしました。
入社3日前に友人から「プロレスの入団テストを受ける」ということを聞いた時に、『自分も受けよう』と決めました。今受けないと、一生自分に言い訳をするだろうなと思ったのです。
親の反対を押し切り、就職先を蹴って、夜行バスに飛び乗りました。大仁田厚さんが立ち上げたFMWの入団テスト。40人中友人と私の2人だけが合格しました。
1年、2年が過ぎ友人はどんどん出世をしたのですが、私はなかなか結果を残すことができず、苛立ちだけが募りました。
そんな時、大仁田さんからメキシコへ武者修行に行くよう命じられました。
現地に着いて驚いたのは、住む場所や試合にいたるまで何も段取りがされていないこと。何とか自力で試合を組んでもギャラは1試合200円程度。ひどい時はタコスとコーラの現物支給の時もありました。
メキシコではプロレスだけでメシが食えるのは、トップの50人だけ。その中に入らないといけない。
大変でしたが、目標が明確だったので頑張れました。1年後に新人賞を獲得しました。
日本に帰国をして、32歳の時に試合中に大事故に遭いました。医者からは「一生ベットから下りられない」と宣告されました。意識ははっきりしているのですが、体が全く動かない。日を追うごとに希望がそぎ落とされ、『死にたい』と次第に思うようになりました。
心臓の手術をすることになり、失敗したら『死ねるかも』と思い内心喜びました。
手術後、喉に管が通っていて話せませんでした。その時『自分はまだ話せたんだ。全てを無くしたと思っていたけど、自分の意思は自分の言葉で伝えられる』と気づいたのです。
マイナスなことばかりに目を向けるのではなく、見る方向を変えて、残されているものの有難さに集中することが大切だと思いました。
私はあと何年かかってもリハビリを続けます。そしてもう一度リングに自分の足で立って、応援してくれた皆に「ありがとう」と言うまで頑張り続けます。
2011-08-22
取材:編集部
タグ:格闘家
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