本日登場するのは、テーブルコーディネートなど食空間の彩りとおもてなしのプロ、“食空間プロデューサー”として活躍するスゴい人。
1999年にテーブルコーディネートサロンを始めて以来、スタイリング、プロデュース、コンサルティング、おもてなし講座やテーブルコーディネート講座の講師など、彼女への依頼は絶えることなく、幅広く活躍している。
2003年に日本ソムリエ協会認定ワインエキスパートの資格を習得し、2008年にはフランスにてシャンパーニュ騎士団のシュヴァリエを授章。
仕事が順調に進む反面、苦しむ事もあったと言う。
それでも彼女がこの仕事を続ける理由とは?
さあ・・・食空間プロデューサー山本侑貴子様の登場です!
「決めて貫く」
広島に生まれ育ち、小さい頃から漠然と東京に行きたいとずっと思っていました。
広島を出るなら親の認める大学へ入学するという約束で、1年浪人して慶応大学に入学し、様々な個性の溢れる東京で私は自由を満喫していました。
就職活動の頃になり、両親からの「広島で就職しなさい」という言葉を振り切ると、「それなら援助は一切しない」と言われてしまいました。
自力で生きていくしかありません。
当時の状況では、それが可能なのは外資系の企業しかありませんでした。
運よく外資系企業に入社して3年間働いたものの、どうしても仕事が合わず、
今後どうしようかと悩みながら、主人と出会い結婚しました。
主人は厳しい人で、仕事を辞めると言ったら
「どうして辞めるの?女性も仕事をもつべきだ」と言いました。
すぐに仕事を探すから、という約束で退職しました。
食空間プロデューサーになったきっかけは、子どもが小さい頃の事でした。
もともと料理やインテリアが好きでしたので、ママ友達を呼んで自宅でホームパーティーをしていたところ、「教えてほしい」と言って頂くようになったのです。
自分でも勉強をしながら1999年の12月に教室を始め、2年目にして著名な方にご指名を頂いてイベントを3回実施しました。
ところが、そこで目立ってしまったせいか、インターネットで悪評を立てられてしまったのです。
この時はひどく落ち込みました。
しかし、夫に言われた
「そんな事くらいで折れてしまうなら辞めてしまえば良い」
という言葉でこんな事で負けてはいられない!と思い、乗り越える事ができました。
私の仕事は、多くが1回限りや期間限定の仕事です。
ですから、毎回真剣勝負で精一杯出来る限りの事をやります。
アシスタント任せにせず、私は必ず自分の手で、自分が素晴らしいと思える物を作るようにしています。
たとえ予算が厳しくても精一杯良いものを作る。
そうしていたら、1年契約だった雑誌の連載が3年続き、一度お仕事をした方にまたやってほしいと言っていただけました。
一生懸命やっていると誰かが助けてくれるものなんですね。
大変な事もたくさんありますが、私はこの仕事が本当に好きなので辞めたいと思ったことは一度もありません。
今後はホテルなど、より大きなものの装飾や、海外でのお仕事にも挑戦してみたいと思っています。
「こうしたい」と思ったら、集中して決めたことを貫く事。
そうすれば、「こうしたい」と思った通りになるのです。
◆dining&style HP
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