5,000人の予約待ちのパンを作り続けるスゴい人!
北鎌倉の山の上にあるパン屋には、看板どころか売り場すらない。
でも、人はそのパン屋が焼くパンをこう呼ぶ。
“天使のパン”
事故で競技を引退した元競輪選手が焼くパンがテレビで紹介されるや、注文が殺到した。
予約が多すぎてパンを届けることができない。
今や、予約の数、5,000名以上。
注文してから手元に届くまで4年はかかる計算だ。
どうして、天使のパンは生まれたのか?
天使のパンを生み出す夫婦の愛とは?
さあ、4年待ちのパン屋多以良泉己様の登場です
「神様が教えてくれたこと」
僕の夢は30歳までに結婚して白い煙突の家に住むこと。
小学校の頃、夢は競輪の選手になることだった。
たまたま、親に連れて行ってもらった競輪のレースであまりに速い自転車を見て僕は、決めたのだ!
でも、当日は周りに誰一人、競輪の選手はいなかった。
まるで漫画の星飛雄馬のように、手に鉄アレイをはめて自転車をこいでいた。
すべてが見よう見まねだった。
20歳まで独学。
そして日本競輪学校を受験した。
何度も落ちた。
23歳が入学のタイムリミット。
運良く、3月生まれの僕は23歳の年、6回目の挑戦にして合格。
念願の競輪選手になった。
毎日、練習、練習、練習。
何度も落車して何度も怪我もした。でも・・・
あの日の怪我はいつもの怪我と違った。脊髄損傷。でも僕は諦めなかった。
リハビリもスパルタ式でやって欲しく何度も病院を転院した。
すべては、完治させるため!リハビリのいっかんで始めたのがパン作りだった。あくまでもリハビリのためのパン作りのつもりだった。でも、怪我による後遺症は治らなかった・・・
これが、僕がパン屋を始めたきっかけ。
高次脳機能障害、左脚麻痺を抱えながらのパン作り。
1日2個?5個が限界。それでもたくさんの方々から注文をいただけている。
今、僕は34歳。30歳の誕生日に結婚もした。白い煙突の家にも住んでパンを作っている。
隣には大好きな妻。大好きな妻と二人三脚でこれからも一生懸命、幸せを皆様に届けます。
そして今、僕はまた自転車の練習を始めている。
障害者のレースに出場するため!
これが神様が教えてくれた僕の幸せな人生の使い方。
2010-05-19
取材:只石昌幸
タグ:飲食
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