健康長寿のための究極の予防医学であるアンチエイジング医学。本日のスゴい人!は安定的な立場を捨て去り、内科アンチエイジング医療という新しい分野に踏み出した。アンチエイジングの中でも特に確立していなかった内科医療の道。第一人者となるまでに彼を支えたものとは・・・。
さあアンチエイジング内科医療の第一人者青木晃様の登場です。
「夢のための一歩を踏み出す」
1988年に防衛医科大学校を卒業し医師になりました。同校は当時防衛庁管轄であり医師国家試験に合格後は医官という幹部自衛官になります。地下鉄サリン事件の際には聖路加国際病院に派遣され最初にサリン中毒患者の診断をし初期治療の的確なアドバイスを表彰されました。
順調にキャリアを積んでいたといえるでしょう。
しかし、医者になり、10年の節目を迎えたあたりから、従来の保険医療主体のフィールドにいたのでは“自らの手で日本の生活習慣病、がんを減らす”という夢を叶えることが無理だと気付きだしました。
がんを含む生活習慣病は、未病という段階からのアプローチが必要なのにも関わらず、それが出来なかったのです。
ちょうどその頃、アンチエイジング医学という新しい医学があることを知り興味を持ちました。
健康長寿のための究極の予防医学であるアンチエイジング医学を実践するには、ここにいてはダメだと思い2000年に意を決して防衛庁を退職することにしたのです。
ところが、美容医療におけるアンチエイジングでは自由診療が既に確立していましたが、内科のアンチエイジングなどというものはありません。
威勢よく辞めたはいいが誰について何を勉強していけばいいんだろうか、と途方にくれかけていたその時、マザー・テレサの『Do?not?wait?for?leaders.?Do?it?alone,?person?to?person.(リーダーを待つのではなく、自分一人でも始めなさい)』という言葉を見つけ、迷いが吹っ切れました。
内科アンチエイジング医療におけるパイオニアになることこそが、今の自分に課された使命なんだ、と。
かれこれ10年が経ち、保険医療が浸透しているこの日本においては、内科の自由診療というのは、非常に難しいということを痛いほど感じさせられました。
クリニックの閉院や、金銭トラブルなどマイナスの出来事もありました。しかし、誰もやっていないことをやっていく充実感は常にありました。
まだまだ茨の道は続くでしょうが、
夢がある限りくじけることはありません!
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