2005年オランダで、初めてポールダンスの世界大会“MISS POLE DANCE”が開催された。その大会で見事優勝を果たしたスゴい人!が登場する。
現役のポールダンサーとして活躍を続けながらポールダンスレッスンを行い、ポールダンスというカルチャーを日本に広げた第一人者でもある。
彼女はどのような想いを持ってポールダンスと向き合っているのか。
さあ・・・ポールダンサー「REIKO」こと末宗麗子様の登場です!
「いつも誰かが手を差し伸べてくれる」
小さい頃からおてんばで、木とか、壁とかをよく登ってました。今も昔もあまり変わらないですね(笑)
ダンスを始めたのは18歳の時。所属していた劇団で日舞やJAZZダンスの練習がありダンスに初めて触れました。
ダンスの楽しさに触れ、仕事にしたいと思い、インストラクターを目指すことを決めました。
最初は、なかなかダンスだけでは食べていけませんでした。ある時、友達から六本木のポールダンスの仕事を紹介されたんです。
当時は、ポールダンスは今ほど定着しておらず、ポールが設置されている練習場も限られていたので、練習することさえ自由にできませんでした。
ジャズダンスやヒップホップの要素を取り込むにも自分ひとりで考えて作っていきました。試行錯誤しながら7、8年が経った頃、世界大会があるという事を友達から教えてもらいました。
出場予定の選手の動画を見たら、自分が手探りの中磨いてきた事とほぼ同じ事をやっていました。自分の力を試してみたいと出場したところ、なんと優勝できたんです。
それまで、自分たちでポールのあるクラブを借りて教室をやっていたのですが、優勝をきっかけにして8人の生徒募集に対して40人が応募してくれました。
専門のスタジオを借りてポールダンスの教室をやろうと思ったのですが、資金の工面や教室の運営方法など何もノウハウがなかったので、すぐには実現できませんでした。
そんな時、手を差し伸べてくれたのが、妹でした。
妹は商工会議所と何度も交渉をして、資金の工面をしてくれたり、生徒さんの予約管理をしてくれたりと、助けてくれました。
ボールダンスを始めた時や世界選手権出場の時もそうだったのですが、大きな転換期を向かえる時には、いつも誰かに手を差し伸べてもらってます。
私はポールダンスを一生懸命練習している人が、活躍できる場所を広げていくことが自分の使命だと思ってます。
今後は、ポールダンスにエンターテイメントの要素を取り入れて、オリンピックのオープニングやディズニーランドのショーの中にも取り入れてもらえるような、老若男女の誰もが楽しめるモノにしていきたいですね。
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