アディーレ法律事務所。テレビCMで名前を聞いたことのある方も多いのではないだろうか?
本日は、このアディーレ法律事務所を立ち上げ、北は北海道、南は沖縄まで28の拠点を持つスゴい弁護士が登場する!業界初のテレビCMによる宣伝や、日本全国への支店の展開など、これまでの法律事務所の常識を破り続けてきた。一代で事務所を大きく発展させる反面、注目を集めることで苦労をしたこともあると言う。それでも新しいことに挑戦するその理由とは?
さあ・・・アディーレ法律事務所 代表弁護士、石丸幸人様の登場です!
「谷からの挽回」
23歳の時、1ヶ月の留置所生活の中で弁護士になろうと思いました。
大学卒業後、大手のゲーム会社に入社しましたが、配属先は、北海道の帯広にあるゲームセンター。仕事の内容も場所も好きになれず、お酒の力に頼るようになり、3度の飲酒運転をしてしまいました。
免許も仕事も家も失い、あるのは前科だけ。ここで巻き返しを図らなければ!と思い、留置所で使うことのできたノートとペンで巻き返しのプランを立てました。
その時ノートに書いたのが、「30歳で弁護士になる。」
北海道の田舎で育った僕には幼い頃から「東京でビッグになる」と言う夢があり、その為に、会社の社長か首相になろうと思っていました。しかし、当時は終身雇用・年功序列の時代。前科があっては大企業に就職できません。そこで、社会的に認められるには弁護士になるしかないと思ったのです。
留置所を出て上京しすぐにベンチャー企業の人事の仕事につきました。ここで会社の組織に必要なことを学びました。
何も不自由はない生活でしたが、ある日「30歳で弁護士になると書いたんだ!」と思い出しました。26歳の時でした。
司法試験は年に1回の実施です。3年やって駄目なら諦めようと決めて取り組みました。仕事をしながら、親にも言わずに勉強を続け、29歳の時、2年目の受験で合格することができました。
受験期間は、仕事と食事と睡眠以外の全ての時間を勉強に費やしました。学習計画を立て、その日のノルマが終わるまでは絶対に寝ないと決めていたので、睡眠時間はとても短かったです。
勉強以外には、いつも弁護士になって成功している自分を強くイメージしていました。
事務所を立ち上げる際に弁護士は弁護士にしかできない仕事のみを行いそれ以外は事務スタッフが行うことで、業務の効率化を図ることを決めました。
新しい仕組み作りには、ベンチャー企業で働いた経験がプラスになりました。
はじめは、事務所を借りるにもお金がかかるので自宅の台所で始めました。スモールスタートでしたが、半年後には現在オフィスがある池袋サンシャイン60ビルへ移転することができました。
新しいことをして目立つようになるとそれを良く思わない人が出てきますし、嫌味だって言われます。嫌味を言われるのは、気になっている証拠。自分のした事の成果だと思います。
今の目標は、48都道府県にある地裁と同じ数の支店を作りアディーレ(身近)を実践して、一人でも多くの人生の再スタートを応援していきたいです。
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