28歳の頃、当時キー局最年少でテレビのお天気キャスターとして登場。それから約35年経った今は、最年長お天気キャスターとして変わらずに活躍し続けている。
「お天気の森田さん」と言えば顔が思い浮かぶ人も多いのではないだろうか?彼の考える気象予報士の使命とは?
さあ・・・株式会社ウェザーマップ代表取締役お天気キャスター、森田正光様の登場です!
「塞翁が馬」
小さい頃からお天気の仕事に関わりたいという希望などは特にありませんでした。
高校3年生の進路相談で、先生から日本気象協会東海本部への就職をすすめられ、受けてみたら偶然受かってしまったんです。
でも、入社すると勉強することが多くて、その頃が一番つらくて辞めたいと思いましたね。気象大学校の通信教育で勉強をするのですが、これがめちゃくちゃ難しい。
数字で暗号のようになって送られてくる気象情報を読み解いて天気図を書いたり、数百箇所にも及ぶ気圧変化を暗算したり、入ってから半年間はずっとそればかりやっていました。懲役のような半年間でしたね。(笑)
でも、嫌な仕事でも半年やっていると徐々に慣れてきます。
天気図データを記入する「プロット」という仕事をはじめは日本列島1枚書くのに1?2時間かかっていて、15?20分でできるようになれば一人前と言われます。それを僕は最盛期には7分で描いていましたね。今ではコンピューターで処理できるようになってしまいましたが、当時は日本で一番速かったんですよ。
入社から数年経って仕事を楽しく感じられるようになった頃、3年間の約束で東京への転勤が決まりました。この転勤が僕の「お天気キャスター」の始まりでしたね。
TBSラジオで気象予報番組を担当していたのですが、
当時の僕は世間知らずで、ルールも何も分からなかった。
他の協会職員が語尾を濁す曖昧な表現を使う場面でも、私は分からないことは「分かりません」と率直に答えていました。「分からない」はご法度だったんですけどね(笑)
そのラジオ出演がきっかけとなって司会の土居まさるさんが「面白いからテレビに呼んでみよう」と
ご自分の番組に声をかけてくださって、28歳のときにキー局では当時最年少のお天気キャスターになったんです。
ただ、知識が十分ではなかったので、30歳前後の頃は一番よく勉強していました。
気象庁内の書店にある天気の本を片っ端から買っては読んで、毎月給料の2、3割は本代に消えていましたね。
気象予報士として大切なのは、天気図や雨雲を見た“瞬間”に起こり得る災害を“察知”する力、感覚ですね。
明日・明後日のことはコンピューターがデータから上手に予測してくれます。でも、今どうなっているか、それを修正するのは人間です。
“今”をとらえ、伝えることで予測可能な災害から人々を守るのが気象予報士の役割だと考えています。
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