本日のスゴい人は、プロ野球界期待の新人。
高校生でありながら、多彩な変化球と抜群のコントロールで多くのスカウトマンの注目を集めた。
甲子園出場実績はないものの、類まれなる野球センスを評価され、西武ライオンズにドラフト2位で指名された。
「自分から野球をとったら何もないと思い、指名を受けなかったらどうしようと不安だった。」
しかし、そのような不安に打ち勝つことができたのも、このステージにたてたのも、全ては今まで自分に関わってくれた人達のおかげであると18歳の彼は語る。
さあ・・・千葉国際高等学校野球部投手 相内誠様の登場です!
「今の自分は周りの方々のおかげである」
野球をはじめたのは小学4年生の頃。
それまではサッカーをやっていたのだが、仲の良い友人に、「体験でもいいから野球をやってみないか?」と誘われ、やってみると、サッカーの練習より野球の方が楽しく感じた。
そこで出会った監督が、今になって分かるが、他のチームでは絶対に経験できないであろう素晴らしい指導をしてくれた。
その頃からピッチャーを任せてもらい、良いピッチャーになるために必要なことはなんでも監督に聞いた。
地元の公立中学校へ進学後ももちろん野球は続けたが、どこか全力が出し切れておらず、満足できるものではなかった。
千葉国際高校への進学のきっかけは、良い先輩の導きがあったから。
先輩が高校に誘ってくれ、練習にも参加し、良い監督とも巡りあえたと感じた。
プロでやっていきたいと思えたのも、高校の野球部の監督のおかげであった。
「相内、お前はプロになれる」
と、冗談ではなく本気で言われた。
プロの世界は自分とは到底縁のないものだと思っていたので、最初は、「プロを甘く見ているのではないか」と鬱陶しく感じてしまった。
しかし、監督に何度も何度も繰り返し言われるうちに、次第にプロへの意識が傾くようになってきた。
千葉国際高校は開校されてまだ新しいため、強豪の多い千葉県では、決して名門校ではなかった。
甲子園にも出場経験はない。
しかし、13球団40名ものスカウトの方が注目していると聞き、ドラフト会議には多少なりとも期待した。
同時に、「選ばれなかったらどうしよう。この先どうして良いか分からない。」
という不安がつきまとった。
そんな中で、ドラフト2位でライオンズから指名が発表されたとき、夢なのではないかと本気で思った。
野球を続けてきて、投げ出したくなる時は何度もあった。
しかし、いつも支えてくれたのは、
「自分は、野球を投げ出したら何もない」
「今がんばらなくてどうする」
といった思いや、導いて下さる先輩方の存在であった。
僕は、周りの方々に支えられて、野球の道で生きていくチャンスを掴めた。
これからも、迷惑をかけてしまう事もあるかも知れないが、自分もまわりを支える事ができる存在になっていきたいと、心から思えるようになってきた。
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