「笑っていいとも!」や「ピカルの定理」など多数のバラエティ番組にレギュラー出演し、最近ではドラマや映画に出演して俳優としても活躍するスゴい人が本日登場する。
今や大人気芸人となった彼だが、現在芸歴14年目で、テレビに出られるようになったのはこの2、3年のことだ。
10年あまりの下積み時代があるにもかかわらず、彼は大変な思いや、辛い思いをしたことが無いと言う。
彼の信念を聞かせていただきましょう。
さあ・・・ピース綾部祐二様の登場です!
「サービス精神」
小学生の頃、よしもとに入って芸人になりたいと思っていました。
でも、大人になるうちにいつしかその夢を忘れて、アパレル業界を目指すようになっていました。
ある時、東京で買い物をしていると、偶然「ごっつええ感じ」のロケが行われているところに遭遇しました。
ダウンタウンの松本人志さんが見えたので、「松ちゃん!」と呼ぶと、「おう」と返して下さったのです。
その日、ステージで大勢の観衆の歓声を浴びる松本さんの姿を見て、「俺は芸人になりたかったんじゃなかったのか?」と思い出し、芸人を目指して上京しました。
あの時、松本さんにお会いしていなければ絶対に芸人にはなっていませんでしたね。
上京した時は、東京に来ればすぐにテレビに出られると思っていましたが、テレビに出させてもらえるようになるには10年ほどかかりました。
ただ、仕事の無い間もアルバイトをしていたので、食べるものに困るということもありませんでした。
僕には「どうにかなる」という考えが全く無いんです。
どのくらいアルバイトをすれば良いか、などの論理的な根拠が無いと「どうにかなる」とは思えないんですよね。
何かをするためには積み重ねていかなければならないと思うんです。
勝算の見えない勝負はしない。
だから、ギャンブルもしないんです。
ただ、一度だけ借金をしたことがありました。
30歳の頃、芸人になって10年が経つのに全然テレビに出ることができず、
せめて着るものだけでも売れている人たちと同じくらいか、それ以上のものを着ようと思い、
当時給料が17万円程度だった時に22万円のスーツを買ったんです。
その時の僕にとってはものすごく背伸びをした買い物だったのですが、これは僕にとって意味の無い借金ではないので、マイナスだとは思っていませんでした。
このスーツを当然のように着られるようになるために、今はまだ分不相応だけど、これを着ることは、この道を進んで行こうという僕の中の覚悟の現れだったのです。
僕は、茨城のバスが40分に1本しか通らないほどの田舎で育ちました。
父親がお節介と言うか、サービス精神旺盛な人で、車で買い物に行く時に見知らぬおばあちゃんを車に乗せてあげたりしていました。
子どもの頃はそれがすごく嫌だったのですが、気付けば自分も父と同じようなことをするようになっていました。
父親譲りのサービス精神で、これからも見ている人を喜ばせ、楽しませ、面白いと思ってもらえることをしていきたいです。
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