ラスベガスで開催された「ワールド・マジック・セミナー・ティーンズ・コンテスト」で日本人初のグランプリを獲得。
世界的に有名なマジックの殿堂「マジックキャッスル」で開催されたFuture Stars Week 日本人初ゲスト!
そして、マジック世界大会 S.A.Mステージコンテストで日本人初のグランプリ受賞!
活躍の場所はアメリカ、ヨーロッパ、アジアと世界各国に広がる。
しかし、彼はまだ弱冠22歳。
誰かの弟子になる事も無く団体にも所属していない。
大人のマジシャンからの虐めなどもあり、何度も挫折しそうになったが、諦めなかった。
昨年、地元熊野の大洪水の後、家を流された子供たちの前でマジックをした時、改めてマジックの素晴らしさを感じたと話してくれた。
地元を大切にしながら世界中を駆け巡るマジシャン。彼は何故マジックを続けるのだろうか?
さあ・・・マジシャン原大樹様の登場です!
「インスピレーションを大切に」
庭に鹿や猪が来る程の山奥で生まれました。
薪風呂を自分で焚き、学校より田植えが優先。
遊ぶものは全て自ら生み出しました。
4歳の頃、父の個展で東京に行った時に見た井の頭公園のピエロに、衝撃を受けました。
シャボン玉をガラス玉に変えた瞬間、観客が笑顔になり、周りの空気が暖かくなったのを感じて「これだ!」と思いました。
しかし、いつしかマジックの事は忘れ、歌手だった母の影響で夢は歌手になることでした。
ある時、お楽しみ会で簡単な手品を披露したら友達が喜んでくれて一躍ヒーローに!
お金が無いので、マジック番組を録画してテープが擦り切れるほど観て独学で勉強しました。
4年生の頃、ボランティアクラブを立ち上げ、マジックで老人ホームなどを慰問していました。
すると、地元のお祭にも呼ばれるように。
この頃にはもう、マジシャンとして生きていく事を決めていました。
中3の頃、国際大会で入賞したのですが、大人の有名なマジシャンから「原って子は今のうちに潰しとけ」とか悪口を言われ、子供ながらショックでした。
授賞式の後、「日本で勝負しても仕方がない。アメリカに行こう。」
と気持ちを切り替えました。
自力で30万円を貯め、高校2年生の7月、期末試験を休んで単身アメリカへ。
2年間の猛練習の末、難しい技術を披露しましたが、技術点30点満点中4点。
日本でもダメ、アメリカでもダメ。
終了後に同年代のマジシャン、スターリングに声をかけられ、彼の部屋へ。
彼は大きな鏡の前でポーズや表情の練習をしていたのです。
これか!!!
僕は見せつけようという思いが強すぎてお客様を楽しませていなかった事に気づきました。
日本に戻り、大好きなマジシャン、ランスバートン主催のコンテストがラスベガスであると知り、
次の目標としました。
18歳の時、今度は卒業式と重なりましたが、母に「これで優勝したら、これが貴方にとっての卒業式だから」と後押しされ渡米!
3ヶ月にわたる練習と優勝した瞬間のイメージトレーニングを続けました。
お陰でリラックスした気分で臨めました。
授賞式にはサプライズでランスバートンが登場。
1位で呼ばれた瞬間、10年間の悔しい思いから開放されました。
僕は自分に才能があるとは思いません。
無我夢中でやっていたら、神様がベストなタイミングで最適な人と巡りあわせてくれただけです。
昔からインスピレーションを大切にしてきました。
閃いた時点で偶然ではない。
行きたい国があればいつでも飛べるように、今ではパスポートを常に携帯しています。
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