初代店主は武将であったが、これからは商人の時代だ!と手元にあった刀を包丁代わりにして魚や鳥を捌き、都の錦市場で商売をはじめた。
二代目 彌三郎より鳥料理を扱うようになり、自らの名から店を「鳥彌三」と命名。
それから200余年にもわたって同じ屋号・同じ料理で営まれている。
混ぜ物を一切加えないその店の水炊きは、3日間限られた人のみによって管理され、作られる。
幕末には坂本龍馬も同じ味を口にした。
変化が激しい時代を越えてもなお、絶えずお客様が訪れる理由はどこにあるのだろうか。
さあ・・・鳥彌三 八代目 浅見泰正様の登場です!
「伸縮の中心」
両親からは「勉強は程々しか、したらあかん」と言われて育ちました。
し過ぎると視野が狭くなり、その道を閉ざされた時に応用がきかなくなるという意味です。
だから足し算と引き算が出来て、沢山の人とお話が出来るようになりなさい。と言われておりました。
自分の体験からの苦労は後々、周りの人にお話しする事が出来る様になるという両親の教えでした。
兄がいたので跡を継がなくても良いから自由に生きなさいと言われ、何も期待はされていなかったのですが、中学3年生の頃、将来を考えるようになりました。
勉強を続けたほうが良いのか。
早く現場に入ったほうが良いのか。
今の時代は大学まで行ってから現場に入るのでも遅くはないとお客様が言ってくれたのは有難かったですね。
高校生の頃は、4時に起きてもう一つの家業である市場で働き、戻ってからはお店に出る生活。
夏休みも調理場に立ち、料理人さんが調理している姿を見て習う。
当時はバブル真っ只中。
洋食文化が取り上げられ、水炊き一本でやっていけるのかという不安もありました。
我々は先代ではなく先々代に教えて貰うのですが、私は先々代から、人間は自制心が無いから忙しかろうが、暇だろうがじっと出来る人間になれと言われました。
動かないのもひとつの勉強なのです。
社員教育で心がけているのは、削って削って、沢山受けるだけ受けて、もう一度足りない部分だけを補う事です。
わかりやすく言うと、仕事のボリュームが増えることで責任感が生まれ、技術力も高まり視座も高くなります。
ある程度成長すると、仕事が楽に感じられるようになりますが、その時はまた大きくするのでは無く、余分なものを削る事を考えます。
この“組織の伸縮”が重要なのです。
私が店主の役目を請け負うのはほんの10年から20年だけ。
無茶苦茶したら次の代が大変です。
私の入り口(はじまり)と出口(終わり)を常に見据え、ほそぼそと、細く永く続けて行くことが使命なのです。
皆が見ているレールに自分という電車が置かれ、脱線しないように運転する様な感じです。
教育なども含め全てを変えたのですが、味だけは一周りしてやはり受け継いで来ているレシピが一番美味しいとお客様に言われます。(笑)
幕末と変わらない味わいを楽しんで頂きながら、龍馬さんも上がった部屋で幕末の時代に想いを馳せてみて下さい。