“狂言”
室町時代から存在する日本最古の喜劇のことである。
この狂言の世界を古くから牽引する御三家の流派に“大蔵流”がある。
本日のスゴい人は、この大蔵流を受け継ぐ人物。
生まれた時から自分の人生が決まっているとも言える伝統芸能の家庭に生まれたものの、彼は決して、狂言一筋で育ってきたわけではなかった。
学校の部活動ではキャプテンを務め、JAZZも歌い、音楽もスポーツもこよなく愛す。
一見すると狂言には全く関係が無いように思える幅広い活動も、その全てが本業の“狂言”に繋がっており、狂言の追究と普及には人一倍情熱を持って取り組んでいる。
さあ・・・大蔵流狂言師 善竹富太郎様の登場です!
「やると決める。期限を決める」
初舞台は、5歳の時であった。
最初は、師匠である親から与えられた役をただただこなし、ただただ、毎日稽古をつけられるだけだった。
祖父と父の教育方針あってか学業にも精進し、また、バスケ部にも入ってキャプテンまでやっていた。
中学高校までは、部活の方に比重を置いて活動していたと思う。
狂言のみの生活でなかった分、狂言といい距離でつき合えていたと思う。
大学時代の卒業論文も“笑い”について研究していた。
狂言と深く向き合うことは面白かった。
27歳の時に初めて、自主公演を行った。
その時は、大きな会場でチケットが売れるのかという問題もあったが、“やる”と決めることが大切だと思い、前へ進んだ。
いつも期限を“決める”ことを大事にしている。
20代のうちに国立能楽堂で自主公演をすることも決めていた。
うまく行かないことがあれば、改善すればいい。
こういった伝統芸能に足を運び続けていただけるお客様が足を運ぶ理由の多くは、「その役者が好きだから」である。
だから役者として、人間として、魅力的にならなくてはいけない。
自分は22歳のころからJAZZの先生について歌の勉強をしたり、歌ができるという理由でオペラの舞台に誘われ出演したこともある。
決して自分の可能性に蓋をせず、とことん追究することが大事なのだ。
私が色々な活動をしている中で、伝統文化を重んじていないのではないかという声もあるが、伝統文化の重みは受け継ぐ人たちだけが感じていればよいと思う。
狂言は喜劇だから、お客さんは純粋に楽しみにきてほしい。
狂言は“お笑い”というジャンルの中でも「上品な笑い」という特質をもっており、
お笑いが好きな人は、楽しめる可能性が十分にある。
狂言を楽しめる人は、とても魅力的だと思う。
出会う人がまず、私自身に魅力を感じていただき、そんな私を通じて狂言の世界を再認識してもらえるように日々活動してゆきます。
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