きっかけは、一枚の写真と一回の原稿。
それを出版社の編集部に送ったところから、本日登場のスゴい人のジャーナリスト人生が始まった。
その後、出版社からのオファーは絶えず、CIA長官やノーベル賞受賞者、大統領やスポーツ選手など、誰も為し得なかった数々の独占単独取材を獲得してきた。
しかし、彼は誰からも取材の方法やアポイントの取り方を教わった事が無い。
なぜ、世界中の報道関係者の中で彼一人だけがこれほどたくさんの独占取材を獲得する事ができるのだろうか?
さあ・・・国際ジャーナリスト 大野和基様の登場です!
「自分で考える」
小学生の頃の夢は探偵になる事でした。
とにかく正義感の強い子どもでしたね。
中学校では新聞部に所属して、3年生のときには編集長になり、取材のパスを持って当時準備中だった万博の会場で準備をしている人たちに取材をしました。
学級新聞という感じではなく、本当の新聞と同じタブロイド版の新聞をつくりました。
子供の頃の探偵になりたいという夢と新聞部にいたときの取材でワクワクした経験が、今の仕事につながっていますね。
東京外国語大学を卒業後、ニューヨーク医科大学で基礎医学を2年間学んだものの、講義をきいても面白くない。
医者になりたいと思わなくなりました。
そんなとき中学で味わったわくわく感が突然こみ上げてきました。
たまたまアメリカで行われた国際臓器移植学会に取材に行って記事を書き、日本の出版社にFAXで送ったら、次の取材のオファーを頂けたのです。
そのうち難しい取材の依頼がどんどん来るようになりました。
幼い頃からの父の教えで「人に聞くな、自分で考えろ」と言われていたので、どんなに難しい取材でも自分で方法を考え抜いてやってきました。
そうしたら、全部上手くいったんです。
そんな頃に父が亡くなり、取材の楽しさから医学部に興味がなくなり、報道の道へと進みました。
それからはさらに取材依頼が来るようになり、医学部を辞めました。
他に誰もとっていないスクープを数多くとってきました。
当時週刊文春の海外のスクープはすべて私がやりましたね。
世界中のマスコミが殺到する中、ぼくだけがとった特ダネもいくつかあります。
2、3ヶ月もの間張り込みを続け、危険な目にも遭ったこともありますが、それでも世界が動いているのを間近に見られてこんなに面白い仕事は他にないと思いますね。
今でも仕事をしているとワクワクします。
このワクワク感と「自分にしかできない事」をやっている、ということが、私のモチベーションになっています。
私はこれまでに「もうダメだ」と思う場面を何度も経験してきましたが、どんな窮地に立たされても出口は必ずあります。
失敗しそうになっても知恵が出てくるんです。
自分の好きな事を職業にするのが1番ですよ。
そのためには、自分で考えることの他に、どこかにセーフティーネットを持つ事が大事。
家族でも友人でもいいから、認めて支えてくれる人が必要です。
孤立してはいけません。
そういう人たちが周りにいれば、どんな窮地だってきっと乗り越えられます。
タグ:ジャーナリスト