国内のサーフィンコンテストで数々の優勝、入賞を経て日本人初のプロサーファーとなった本日登場のスゴい人。
彼はプロサーファーとしての活動のみならず、海外で本場のサーフボード作りを習い、日本に普及させた。
競技活動から引退後は、ウインドサーフィンをはじめ数々のビーチスポーツの本格的な解説やDJを務めている。
スノーボートに閉鎖的であった日本のスキー場を全国解禁まで持ち込み、
日本初の国際スノーボード大会もプロデュース。
そして、JALの海外リゾート旅行企画「リゾッチャ」キャンペーンのハワイ、オーストラリア現地企画を担当。
誰もが楽しめるリゾートの理想形を伝え続けている。
さあ・・・一般社団法人ビーチクラブ全国ネットワーク理事長(海おやじ) ドジ井坂様の登場です!
「Recreation」
茅ヶ崎に生まれ、海と共に育ちました。
3月生まれでしたので同級生より少し成長のペースが遅く、両親共に教員だったため特別視されていたせいか、おとなしく、積極的に表現をする子供ではありませんでした。
海は子供の頃からの遊び場で、小学校高学年の頃にはエアーマットで波に乗っていました。
中学生の頃、サーフィンの存在を知りましたが、はじめは「同じ波に乗る行為だけど何が違うのか?」という感覚でした。
ところが、趣味の早朝映画を銀座で観た帰り、洋書屋でサーフボードの作り方の本を見つけたのです。
早速購入し、翻訳して、自宅の居間のカーペットを剥がし、床に図面を描いて木枠とベニヤ板でサーフボードを作りました。
18歳になる頃には仲間の板を作っていましたね。
海外にどうしても行きたくて海外サーフ雑誌などを片っ端から読み漁り、サーフボード作りを習えないか手紙を出していました。
アメリカのサーフボード工場と手紙のやり取りが続き、大学がつまらないので社会勉強をさせてくれと両親に授業料を前借りしてその工場へ修行に行きました。
日本にいた頃は必要な時があれば意見をいう程度でしたが、海外では常に発言を求められました。
元来、自分が手に入れたいものへの強い思いがあったので、それに表現力が加わることで周りが反応してくれて色々と形になったのです。
ハワイやカリフォルニア、オーストラリアなど海外でサーフボードを作りながら世界の大会に出る生活を続ける中で、世界のビーチの歴史と現状を知りました。
ヨーロッパの海水浴は、石炭公害や劣悪な労働に疲れた労働者をRecreation(休養)させるためのもの。
それを知った当時の日本は、世界一のエコな国でありストレスもない。
しかし時代は富国強兵に突入したので“体力強化”の為に海を利用したのです。
だから日本の海の家は仮設で良いとされ、今もその名残で仮設のままなのです。
日本のマリンスポーツショップは各業界のコア層が仕切ってしまい、複数のスポーツを横断して対応できるビーチショップがありません。
海外は逆なんです。
最近は、大人も子どもも姿勢が非常に悪くなっています。
サーフィンを通して培った「体幹の使い方、バランスの良い身体の使い方」を子ども達にレッスンし、姿勢矯正しています。
そしてこのレッスンをすると、驚くことに70歳からサーフィンを始めた方が何人もすぐ波に乗れるようになっているのです。
これからは日本人の姿勢を正し、元気の無い日本をRecreationしていきます。
◆海を一年を通じて
それぞれの季節を楽しむ海岸のコミュニティ活動
現在12箇所で毎月定期的に活動しています。
参加無料です。
出来るだけ親子で参加してほしい活動です。
社団法人ビーチクラブ全国ネットワーク
http://www.beachclub.jp
◆サーフィンをはじめ身体のトレーニングに関する問い合わせ
フィジカルセンス・トレーニングや
海のフィッシングなどの企画イベント
http://www.beachschool.com
※上記サイトは、一部携帯では見られない可能性があります。
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