“ソムリエ”とは、ワインを中心とする酒類、飲料、食全般の専門知識を有し、その仕入れ保存、在庫・品質管理、サービス方法などに留意し個々のお客様の求めに応じる。
(日本ソムリエ協会ホームページより抜粋)
本日登場するスゴい人は、幼い頃から野球一筋。
それが、意外な形でソムリエとして大成して行った。
彼はどのようにして世界で闘う切符を手にしていったのだろうか?
さあ・・・株式会社ACCELAIRE Restaurant-I シェフソムリエ 石田博様の登場です!
「甲子園に代わって」
小学校1年生から硬式野球を始め、ボーイズリーグでピッチャーをしていました。
高校は甲子園を狙える学校に入り、ほとんど全ての時間を野球に費やしていました。
最後の夏を迎える春。
調子は良いはずなのに、いざマウンドに上がり投球するとボールが何故か乱れたんです。
監督からも怒られ、その日からまともにキャッチボールさえ出来なくなりました。
丸い物体を持って投げようとすると意識と全く違う方向へ投げてしまうんです。
結局、そのまま私の野球人生は幕を閉じました。
良い成績が残らなかったので、きっぱりと諦めることができて今では良かったと思います。
何故か、ホテルで働きたいと強く思い、野球部部長の就職課の先生に相談すると、「ホテルで働く人間は女性的な優しい性格で、お前みたいな気性の荒い頑固な人間には務まらない」と言われましたが、最終的には専門学校を薦めてくれました。
バブル全盛期でしたが、親に負担をかけないように、熱海のホテルで授業料を支払って貰う代わりにホテルで働くという条件の下、働きながら専門学校に通いました。
帝国、オークラ、ニューオータニに就職することを目標に、遊ばずに勉強していましたね。
卒業後憧れのホテルに就職したのですが、尊敬出来る人が全くいない中、1人だけ輝いている先輩がいました。
その方が、たまたまソムリエだったのです。
ソムリエになりたいわけではなく、その人に近づくことが一つの目標となりました。
野球であんなに努力したのにモノにならなかったのだからモノになるには相当たる努力が必要なはずだと考え、ソムリエの先輩に言われることを微塵も疑わず実直に勉強しました。
ソムリエのコンクールがある事を知り、コンクールが自分の中で甲子園に代わるものになりました。
高校時代のストイックな気持ちが蘇ってきたのです。
コンクールを目指し始めて2年後、26歳で国内優勝。
その4年後、世界大会で決勝まで残り3位となりました。
私は日頃、今日の仕事はこれでよかったか?
明日行うことはこれで良いのか?と自分自身に質問をしています。
良かったことは繰り返し、変えなければいけないことはさっと変えます。
但し、人はうまくいったことをずっと続けていると変化したく無くなるものです。
世の中が変わっていることに気付き、バランスよく柔軟に対応することが大切です。
そして、ソムリエは、頑張って成長し習熟すればお客様に喜んで頂ける素敵な仕事です。
◆ブログ「Sommelier’s Note?ソムリエのネタ帳」
http://h-ishida.blog.openers.jp/
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