芸妓(げいこ)
茶屋で、唄や舞などの芸や話で酒席の座を取り持つ女性たち。
地域によって“芸者”と呼ばれる事もあるが、京都の場合は、十代の若い芸妓を “舞妓(まいこ)”と呼ぶ。
中でも祇園甲部は京都で最大の花街である。
ここで芸妓として政財界のVIPなど多くの著名人にも贔屓にされ、6年間売上ナンバーワンを獲得していたのが、本日登場のスゴい人。
5歳で京舞井上流を習い始め、11歳で「置屋 岩崎」の跡取りとなり、15歳で舞妓デビュー、21歳で襟替えをして芸妓となった。
現役を引退後は、花柳界の暮らしを紹介した自伝『Geisha,a life』を出版するなどしている。
芸で生きる芸妓の世界とは?
さあ・・・作家・元祇園甲部芸妓 岩崎究香様の登場です!
「らしく」
4歳の頃に祇園甲部の「置屋 岩崎」の女将から岩崎の跡取りになることを望まれ、家庭裁判所で「岩崎の子になります」と自分の口から言い、岩崎の家の養女になりました。
5歳の頃から京舞井上流、京地唄などのお稽古をはじめました。
初めの頃は、養女になる事を上手く理解できていなくてふらふらしていましたね。
ある時、舞のお稽古のお題を間違えて教わって大きいお師匠さんの前で舞うと、ひどく叱られました。
今思えば、お題が違ったことよりもふらふらとして落ち着かないことを叱られたのでしょう。
初めて他人に叱られてその時はショックもありましたが、特に京舞が大好きだった事もあり、「やめたくない」と強く思いました。
舞妓から芸妓になる頃、花柳界は様々な厳しい縛りがあり、納得できない事がたくさんあって、もう嫌だと思うこともありました。
それでも、辞めたいと思ったことはありません。
当時はまだ売春が合法だった時代からあまり時間が経っていなくて、周りの方から憶測で色々な嫌な事を言われる事もありました。
ただ、私のことを贔屓にして下さるお客さんはとても優しく、乱暴な事をおっしゃることも無くて、私を自由なままに育てて下さいました。
ですが、私が多くのお客様に贔屓にしていただくようになると、姐さん方から“イケズ”(いじわる)をされることも少なくはありませんでした。
勿論腹は立ちますし、許せないと思うこともありましたが、
「私がすること全てに腹が立つなら、それを無くそうと何かをしたってどうせ気分を害するなら仕方がない。ご本人の問題」
と思っていましたね。
こういった事は、私にとって大きな悩みにはなりませんでした。
芸妓を引退してからは色々な道を探りましたが、井上流は門外不出の舞の流派でしたので舞を教える事もできず、私は日本画修復の技術を身につけ、それを仕事としました。
芸妓は、キャリアウーマンの原型です。
芸妓はみな、芸を磨き、自分の力で生きていきます。
女性は、結婚をして旦那さんに養ってもらうのも一つの幸せでしょう。
ですが、たとえ結婚をしても女性も自分の仕事を持ち、働いてお金を稼ぎ、その中で子どもを育てるという事が、自立した生き方と言えるのだと思います。
若い方々にも自立して輝く女性が増える事を願っています。
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◆特定非営利活動法人 日本文化芸術国際振興協議会(JAIC)
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