学校の成績も良く、スポーツ万能で、近所では可愛いと評判だった。
しかし小学校2年生の時、彼女の人生を一瞬で変える事故が起きた。
母親が迎えに来てくれた車に乗り込んだその時、猛スピードで乗用車が正面衝突。
助手席の彼女は顔からフロントガラスに突っ込み、顔面540針、口の中を260針も縫う重傷を負った。
怪我や後遺症により、シンクロナイズドスイミングはおろか通常の生活を行うのも困難な状態。
しかし、家族が彼女の人生を本気で支えた。
そして彼女は「夢ノート」に自分の思いのたけを綴った。
母親の口癖は、“私はあなたを宇宙で一番愛している”
数々の困難を超えて夢の舞台オリンピック出場を果たした彼女が夢を叶えられた秘訣とは?
さあ・・・シンクロナイズドスイマー石黒由美子様の登場です!
「家族に支えられて」
その事故は、小学校2年生の秋に起きました。
目覚めるとそれまでの記憶が全く無くなっていて、私は交通事故に遭ったという事以外何も分からない状態になっていました。
目は失明していて、耳は難聴になっていて、高熱も続いていて・・・
周りからすればとても可哀想な状況だったのかもしれませんが、当の本人は記憶喪失の影響もありそんなに深刻には悩んでいませんでした。
家族の愛情は、普通だったら辛くなるはずの入院生活を楽しい時間にしてくれました。
叶えたい夢を書いて、それが叶ったら赤い線で消して、「ありがとうございました」と感謝の言葉を添える、それが私の夢ノートなのですが、
入院中に私はその「夢ノート」に「シンクロでオリンピックに出る!」と大きく書きました。
視力障害、難聴、顔面麻痺、あらゆる障害に阻まれながらもプールで必死に練習する私を母は見守ってくれました。
母だけが私の夢は叶うと本気で信じてくれていたのです。
オリンピックに出場するためにはどうしたらいいのかを考え、逆算して細かい目標設定をしました。
・20歳 アテネオリンピック出場
・19歳 アテネオリンピック日本代表に入る
・18歳 ナショナルBチームに入る
・17歳 ジュニアの日本代表に入る
・16歳 全国大会にソロで出場して入賞する
オリンピックという遠い大きな目標に向かって目の前の課題を一つ一つクリアしようと必死でした。
事故の後遺症は医者からは奇跡と言われるほど驚異的な回復力を見せ、それと同時にシンクロの成績が徐々に上がっていきました。
しかし、アテネオリンピックの代表選手選考では、出場枠9人のところ10位で落選。
アテネオリンピック出場にこだわってきた私には落選のショックが大きすぎて心の底から絶望してしまいました。
これまでやってきたこと全てが無駄になったような気がして、何の希望も見出すことができなくなりました。
そして、大好きなシンクロからも離れてしまいました。
そんなある日、転機が訪れました。
後輩が出場するワールドカップへ観戦に行った時のことです。
会場で応援をしていると、ふと涙が溢れてきました。
「後輩の出場を素直に喜ぶ自分」と、もう一方で「なぜ私はそこにいないのだろう?」というなんとも言えない寂しさと悔しさを感じました。
このときの気持ちが私を再び「シンクロでオリンピックに出る!」という原点に戻してくれました。
今度の挑戦は、単純に次のオリンピックに出るということではなく、何年かかろうが何回落選しようが、何としても必ずいつかオリンピックに出るという夢に変わりました。
そうすると、目標に対して期限に固執しなくなりました。
「ここで出来なきゃいけない」が「ここで出来なくてもいいんだ、出来なくて当たり前だよな」って変わりました。
それまで一回一回の試合でものすごく緊張していたのが、心に余裕が生まれたことで伸び伸び演技をすることが出来るようになりました。
結果、北京オリンピックに出場させていただきましたが、ここまで出来たのは、どんな時も希望を持って応援してくれた家族がいたからです。
決して一人では成し遂げることは出来ませんでした。
そして、夢を叶えてくれた「夢ノート」は本当に“スゴいノート”なんです。
◆石黒由美子オフィシャルBlog
http://ameblo.jp/yumiko-ishiguro/
◆著書『奇跡の夢ノート』NHK出版
https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=C5010101&webCode=00814312010
http://www.amazon.co.jp/dp/4140814314
◆お問い合わせ、出演依頼はこちら
石黒由美子宛メールアドレス
synchro_yumiko@axel.ocn.ne.jp
※上記サイトは、一部携帯では見られない可能性があります。
タグ:スポーツ・格闘技