本日登場するスゴい人は、現在はスポーツコメンテーターとして活躍する元オリンピックシンクロナイズドスイミング日本代表選手。
彼女は小学校1年生から競技を始め、国体、世界選手権、ワールドカップに出場し、1992年のオリンピックで弱冠20歳にして日本代表の座を掴み、個人とデュエットで二つのメダルを獲得した。
しかし、順調に競技生活を続けてきた彼女もある時乗り越えなければならない壁に直面した。
彼女はどのようにして困難を乗り越え、そしてその経験から何を得たのだろうか?
さあ・・・スポーツコメンテーター 奥野史子様の登場です!
「本物に触れる」
姉二人が先にシンクロを習っていて試合を見ていたので、私も当然やるものだと思って小学校1年生で始めました。
小学校高学年の頃に世界一の選手がスクールに来てくださり、恩師の井村雅代先生に出会い、一流の人たちに触れる機会を頂きました。
一流の選手の練習する姿を間近で見て、自分もそこを目指すようになりましたね。
小学校の中学年から高学年はゴールデンエイジと言われているのですが、今思えば、その時期に素晴らしい方々に出会えたことがその後の人生に大きく影響したと思います。
オリンピックに出場したのは二十歳の時。
まさかこんなに早く出ることができるとは思っていなかったので、目の前にあるものをこなすことに追われ、気が付いたら終わっていました。
結果としてメダルを取ることもでき、それまでは順調でした。
翌年のワールドカップで五輪メダリストとして注目されたのですが、メダルを取ることができなかったのです。
先輩たちが繋いできたバトンを落としてしまった事が悔しくて、日本に帰ってくるのが嫌でした。
今までと同じようにやっていて勝てなかったので、どうしたら良いのかもわからず、辞めたいと思った事もありました。
負けたままで辞めたら他に何をしても負けるんじゃないかと思い、シンクロでリベンジしようと井村先生と一念発起して「昇華?夜叉の舞?」が生まれました。
それまでのシンクロは常に笑顔で演技をするのが常識でしたが、「怒り」や「情念」といった感情を表現しました。
人のやらないことをする上に、失敗したら後が無いので迷いや不安もありましたが、先生や家族など支えてくれる人がいたからやり遂げることができました。
結果は、史上初の芸術点オール10点。
ソロで日本人史上初の銀メダルを獲得することができました。
会場ではスタンディングオベーションが起き、それを見て涙が出て、本当にうれしかったのを今でも覚えています。
夜叉の舞は負けなければ生まれなかった演技です。
崖っぷちに立った時に人は本当に変わることができて、ピンチはチャンスなんだという事を、身をもって実感しました。
そして、ダメな時こそ自分の事を真剣に考えてくれる人たちの有難みを知ることができました。
これからは、子ども達のためのスクールをしたいと考えています。
私が子どもの頃の出会いによって世界を目指すことができたので、今度は私が子ども達に良い刺激を与えられたらと思っています。
◆テレビ
NHK Eテレ「すてきにハンドメイド」
毎週木曜日21:30?21:55放送 隔週レギュラー
http://www.nhk.or.jp/kurashi/hand/
読売テレビ「かんさい情報ネットten!」
月曜日?金曜日16:47?19:00放送 月曜日・金曜日レギュラー
http://www.ytv.co.jp/ten/
◆ラジオ
NHK-FM「眠れない貴女へ」
毎週日曜日23:30?1:00放送 隔週レギュラー
http://www4.nhk.or.jp/anata/
NHKラジオ第一「かんさい土曜ほっとタイム」
毎週土曜日13:05?15:54放送 月1回レギュラー
http://www.nhk.or.jp/kansaihot/
MBSラジオ「上泉雄一のええなぁ!」
月曜日?金曜日10:30?12:30放送 火曜日レギュラー
http://www.mbs1179.com/uwa/
◆所属会社
株式会社パシフィックボイス
http://www.pacvoice.com/