明治維新後、加賀前田家の軍隊に入り前田候の髪結方を務めた、喜多床の初代・喜太郎。
当時の前田家には軍事顧問のフランス人達が出入りしており、そこで西洋風の散髪技術を学んだ。
明治4年、断髪令が発せられ、加賀百万石十三代藩主・前田斉泰の断髪をしたのが、喜太郎であった。
髷を切り落とされた斉泰公は「本日、髪を洋夷にす。涙燦然として降る」と一筆したためた。
この時、斉泰公から「喜多床」という屋号も命名された。
それから今日まで140年以上、営業を続けている。
本日登場するスゴい人は、この長い歴史を受け継ぐ四代目。
こんなにも長くお客様に愛され続ける秘訣とは?
さあ…
喜多床
四代目
舩越一哉様の登場です!
「伝統を受け継ぐ」
帝国大学の正門前に、当時では珍しい3階建ての洋館を建てたのが、最初の店舗だったそうです。
1階は一般のお客様、2階は高級フロアーとして帝国大学の教授などがお客様でした。
その後、政財界の人々が集まる丸の内にあった社交場の地下へ。
そして、学生時代からお客様であった東邦生命の社長が渋谷にビルを建てる際にお誘いを頂き、昭和50年から現在の場所で営業しております。
私は二人の姉の下に生まれた長男でしたので、祖父は私の誕生をとても喜んでくれたそうです。
当時は中学を出たら働き出す時代でしたが、私は高校を卒業し、大学も数年行かせて頂きましたが、大学を中退して21歳の頃、大阪の理髪店へ修業に行きました。
中学を出て働いている者がいる中、私は何も出来なかったので、はじめの頃は随分嫌がらせをされました。
茶碗も洗ったことのない人間でしたが、下っ端なので賄い飯も作ったり大変なこともありましたが、楽しみもありました。
それは、休みの日を使って京都や奈良などに観光に出かけることでした。
月給も僅かでしたので祖母にお小遣いを送ってもらい、それで砥石など道具を買い揃えました。
仕事は半人前でしたが、2年程すると東京に呼び戻されました。
第一号のお客様は宮様でした。
今思えば簡単な髪型でしたが、初めてで緊張していて、出来上がり後に鏡で仕上がりをお見せして「いいよ。いいよ」と言っていただいた時は本当にホッとしました。
この時の光景は今でも脳裏に焼き付いています。
美容室との大きな違いは、床屋は触感技術を重要としていることです。
シャンプー、ヘッドマッサージ、フェイスマッサージ、髭剃り、眉毛を整える、温かい蒸しタオルで顔を拭く、肩もみ、腕マッサージなど。
手で触れる技術が多いので、リラックス効果が高いのです。
喜多床はこの触感技術には昔から特に力を入れています。
お客様は、触れられた瞬間にその人の触感技術を判断します。
それはシャンプーされた時に上手いか下手かがわかることと一緒です。
仕事などで疲れた頭を休めに来て頂くのが、喜多床が目指している事です。
帰り際、「あ?気持よかった」「あ?さっぱりした」とお客様が発する爽快感の言葉を聞くと「この商売をやっていて良かったな」と毎回、痛感させて頂きます。
是非、喜多床の触感技術をお気軽に体験しに来て下さい。
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