本日登場するスゴい人は、お笑い芸人であり、芸能事務所「大川興業株式会社」を運営する経営者でもあるスゴい人。
彼が大学4年生の時に立ち上げた同団体は、主にナンセンス・風刺系演劇を行い、江頭2:50氏を筆頭にお笑い界で唯一無二の芸人を輩出し続けている。
彼はなぜ、お笑い・演劇の道へと進んだのだろうか?
さあ・・・
大川興業株式会社
代表取締役・総裁
大川豊様の登場です!
「お笑いでお客さんの心に貯金したい」
小学生の頃、お袋は英語とドイツ語を話せたんでキャンプ・ドレイクという朝霞にあったアメリカ駐屯基地で働いていて、当時は学童保育も無かったから、俺は学校が終わるといつもキャンプに遊びに行ってました。
日本人は「自己主張するのは良くない」という雰囲気なのに、アメリカ人はチャレンジしただけで拍手喝采。
そんな日本とアメリカのギャップがあり、学校にいるときはおとなしくしてました。
米軍が撤退しキャンプが無くなったときに新しく見つけた遊び場が「上高田少年合唱団」で、「鉄人28号」や「鉄腕アトム」など数多くの番組主題歌やコマーシャルソングに参加してた合唱団だったから、そこで歌うことで自分自身を出すことが出来るようになったんだと思います。
何十年も昔のことですが、この頃に歌った曲は今でも歌詞を見ずに歌えます。
中学、高校はあまり目立った動きはしていなくて、大きく変わったのは大学生のとき。
当時の大学生には、スタジアムジャンバーにデッキシューズというスタイルが大流行。
俺は子供の頃にキャンプで本物のアメリカのキャンパススタイルを見てたから、そんなアメリカかぶれのミーハー学生を撃退する感じで始めたのが学ランスタイル。
そこから自然発生的に5?6人で結成したパフォーマンス集団が大川興業になったんです。
テレビ出演をきっかけに、大川興業として活動する場が増えてきて、特に凄かったのが新宿歌舞伎町の居酒屋での出来事。
学ランスタイルで飲みに行くと自然と周りに人が集まり、ビール、焼酎、ウィスキーを差し入れしてくれて大盛り上がり。
まるでライブハウスのような状態になって、「一気飲みコール」も自分たちが元祖だと言われてます。
1985年、大学4年のとき、就職活動で153社受けて落ちたので、自分で自分に内定を出して、大川興業株式会社を設立しました。
就職試験に落ちたことや、現在も凄い金額の借金もありますが、好きなことをやってるので「ピンチ」と思ったことはありません。
「お笑いでお客さんの心に貯金したい。しかも良い金利をつけて」という思いでやってます。
大川興業では「無言劇があるなら無見劇があってもいいはず」と考え「暗闇演劇」という芝居を10年以上続けてます。
音と気配だけの真っ暗闇の芝居をもっと広めていきたいと思ってます。
◆大川豊興業
http://www.okw.co.jp/
◆「暗闇演劇」公式サイト
http://www.kurayami.info/