主祭神は家津御子大神(スサノオノミコト)。
日本サッカー協会のシンボルとしても有名な3本足の八咫烏(やたがらす)。
神武天皇が熊野に到着された時、神の使者である八咫烏が奈良まで道案内したというエピソードから熊野三山に共通する「導きの神鳥」と信仰されるようになった。
中世には「蟻の熊野詣」と言われる程、多くの人々が熊野へ集った。
極楽浄土の地である熊野へ参拝することは即ち蘇り、再生を意味する。
熊野本宮大社は阿弥陀如来のお力により、来世の加護を頂く事が出来ると伝えられ、この神と仏の一体感こそが熊野信仰の真髄である。
熊野への参拝は「生きながら蘇る」
つまり人生の大きな分岐点となる地であると言われている。
2016年元旦は、この蘇りの地である熊野本宮大社宮司に登場して頂こう。
さあ…
熊野本宮大社
宮司
九鬼家隆様の登場です!
「神社は現代の人々と共に」
長い長い歴史の中で、境内で産声を上げたのは私だけです。
私が生まれた年は酷い干ばつの年で農作物が取れず、雨乞いの依頼話が神社に来たのです。
父が面を2つ持参して寅の刻、闇の時間帯に大斎原の熊野川の水面に誰にも見られず祝詞を上げ、翌日早朝から地元の人と雨乞いの儀式をしたのです。
昼頃になり、雲がかかり雷とともに雨が降りだした瞬間に私が産まれたという昔話のような本当の話。
神職の始まりは明治神宮の奉職からです。
私は引っ込み思案でしたが、祭儀部から崇敬会に入り2500人の前で司会進行役を任されました。
ところが、すっかり上がってしまって頭が真っ白になり、途中で先輩と交代させられました。
悔しくて情けなかったですが、次の会にチャンスを頂きそれが上手く行ったのです。
それから180度変わったと言って良い程、人との接し方が変わりました。
父の体調が悪くなったので熊野に戻り父の背を通して参拝者との関わり方などを見ながら熊野本宮の動き、役割を知りました。
父は誰とでも気さくに話し、何より人が大好きな人でした。
別け隔てなく話に耳を傾け、一言二言言葉を投げかけていました。
バブル崩壊後、残虐な殺人事件が多発している世に対して、父が自分の最後の仕事として「日本人が本来持っている素晴らしさを取り戻して欲しい」と、天と地、宇宙と地球を結び、その中に人々が生かされている感謝の思いを馳せる意味で、元々大社があった大斎原に大鳥居を築きました。
この大鳥居が今では熊野本宮のシンボルとなり、殆ど見向きもされなかった大斎原にもお参りされる人が増えました。
神社は過去のものではなく、現代の人々と共に生きる場所であります。
2011年台風による大洪水が発生した時、不思議な事が起きたのです。
水位は家の2階まで達しているのに、川の州にあたる大斎原は全くの無傷だったのです。
更に証人としてその夜、地元の消防団3人が、大斎原が不思議な青い色に包まれていた光景を目にしているのです。
明らかにその時水に浸かっていた町より低い位置にあるのに…きっと神様に守られたのだと思います。
熊野本宮は蘇りの神様です。
迷った時や、ここ一番という時に参拝されて下さい。
京都にある清水寺さんは一年を振り返った漢字を書きますが、熊野本宮大社は未来(今年)に対する漢字を記しています。
今年選んだ漢字は私の写真のメッセージボードを見て下さい。
本年も皆様にとって素晴らしい一年になることを心より祈念致します。
◆熊野本宮大社
http://www.hongutaisha.jp/