1907年から開催され、世界最古にして最も有名なオートバイレース「マン島レース」をご存知だろうか。
一般公道を封鎖し、1周約60km、200以上のカーブが存在し、高低差は400mというコースを4周するレースである。
平均時速は220km、最高時速は320kmを超えるという。
過酷なレースだが、オートバイレーサーの憧れのレースである。
本日登場するスゴい人は、現在47歳、ロードレーサー歴26年のレーサー。
彼は45歳から、マン島レースに出場するために自ら道を切り拓き始める。
同じコースで繰り広げられる「マンクス・グランプリ」に出場し、2015年に2位を獲得。
日本人として40年ぶりの表彰台という快挙を成し遂げた。
イギリスでは、マン島レースの優勝候補として、メディアにも大きく取り上げられた。
今年8月には再びマンクス・グランプリに挑戦し、2017年のマン島TTレース出場を目指す。
彼は何をきっかけにこのレースへ挑戦したのだろうか。
さあ…
全日本ロードレースライダー
山中正之様の登場です!
「応援を力に」
運動も勉強も得意ではなく、16歳でバイクの免許を取り、仲間とレースに出始めました。
初挑戦したレースで200台以上の中で予選を勝ち抜き、周りから賞賛され、やっと得意なものを見つけたと感じました。
何より走る事自体が楽しかったのです。
就職してもレースを忘れられず、退職し、アルバイトをしながらレースを続ける日々。
個人で走るには経済的に困難になった頃、大きなレーシングチームをご紹介頂き、継続することが出来ました。
遊ぶお金は一切ありませんでしたが、何よりも走ることが楽しかったので充実していました。
峠道が身近にある環境で育ったため、マン島レースにも興味はありましたが、自分から挑戦はしませんでした。
ある時、マン島レースに出ているチームから「走ってみるか?」と声が掛かりましたが、その年だけ狂牛病でレースが中止になったのです。
その後、マン島出場の方法が見つからず、年齢も上がり、悩みながらレースに出ている時転倒し、片側の肋骨が全て折れて肺も潰れる大事故が起きました。
10日間の昏睡状態から何とか回復し、死ぬ思いをしたけど、まだレースに対して未練もある。
そんな時、自分は好きで走っていただけなのに、周りの人を勇気付けていると、ある人が教えてくれました。
これからは人のためにレースに出ようと思い、夢であるマン島レースに目標を定め、チームの力に頼るのは辞めて、自分で道を切り拓こうと決めました。
まずはレースを生で観て、現地でオーガナイザーと名刺交換し、帰国後メールで出場交渉。
いきなりマン島レースには出られないので、マンクス・グランプリに出ることになりました。
莫大な費用がかかりましたが、貯金とスポンサーさんの応援で、2015年に参戦。
自分の為だけでなく、応援して頂いた事で、やり甲斐もモチベーションも変わりました。
レース中は順位などを気にすると本来の走りが出来ないので、ただ上手に走るためのコース攻略へ集中を向けます。
集中していて2位でゴールした事さえも気付きませんでしたが、表彰台に上がった時、このために困難な人生を経験して来たのだと感じました。
今年8月、再度マンクス・グランプリで上位入賞すれば、来年念願のマン島TTレースに出場できます。
私の走る姿を見て、その姿から何かを感じ取って頂き、それを皆様と共有できたら最高です。
48歳になっても、まだ新たな挑戦を続けます。
◆山中正之マン島レースチャレンジ公式ホームページ
http://mcrg-1000.wix.com/yamanakamasayuki
◆公式ホームページがうまく表示されない場合は
MCRガレージのホームページ
http://www.asahi-net.or.jp/~ag2m-ymnk/man.html
◆山中正之熱い思いと協賛金応募フォーム
http://www.asahi-net.or.jp/~ag2m-ymnk/man.html
◆2015年マンクスGP車載映像
https://www.youtube.com/watch?v=og7Dd2luqJw
タグ:スポーツ・格闘技