山に登る女性を「山ガール」とメディアは称しているが、本日登場するスゴい人は、きっと日本初の山ガールではないだろうか。
1969年には「女子だけで海外遠征を」を合言葉に、女性だけの登攀クラブを設立。
翌1970年、女性初、日本人初、アンナプルナIII峰(7555m)を登頂。
1975年には世界最高峰エベレスト(8848m)を女性世界初登頂に成功。
1992年には女性世界初の7大陸最高峰登頂者になった。
77歳の現在まで、世界76ヵ国の最高峰・最高地点を登頂している。
これほどの世界記録を樹立し続けた原動力は何なのだろうか?
さあ…
登山家
田部井淳子様の登場です!
「平常心」
7人兄弟の7番目に生まれ、身体が弱く、運動も苦手でした。
10歳の時に担任の先生が「夏休みを利用して登山をするので行きたい人は連れて行く」と言ってくれました。
戦後まもなくの食糧難で家族旅行やハイキングも出来ない時代でしたが、先生が同伴するならと親が了承してくれて、各自お米2合を持って栃木の朝日岳、茶臼岳に登ったのが最初の登山でした。
体力は無かったのですが、先生が「ゆっくりでいいんだよ。絶対に急ぐなよ」と声を掛けてくれたのです。
安心し、友達と会話を楽しみながら歩きました。
林が終わると岩だらけの風景に変わり、山=緑という概念が崩れ落ち、初めて嗅ぐ硫黄の匂いやお湯が流れる川など、学校では習わない自分の目と肌で感じた体験が衝撃的でした。
山登りはゆっくりで良いけど、どんなに辛くても選手交代が無い。
運動が出来る子の横に並んで山頂に立った時、麓に見える小さな山小屋を見てすごく感動しました。
東京の大学に進学し、初めての東京からの山登りも感動でした。
それは、山頂まで木々が生い茂っている山だったからです。
その後は自分で計画を立て、山登りを始めました。
当時女性厳禁だった山岳会に「男性に限る」と書いてない会を見つけ入会。
そこで岩を登る山登りに出逢い、更に山に惹かれました。
少しのミスで落下するので、全身に神経を張り巡らす魂の緊張感もたまりませんでした。
1970年からヒマラヤが解禁になるのを知り、女性だけで行きたいと思いました。
ネパールから許可が下り、アンナプルナを登頂。
次の目標はエベレストになりました。
当時は1シーズン1チーム。
登れる可能性があるのは75年と言われ、4年待ちました。
オイルショックで不況の中、日本人女性が登山許可を貰ったと新聞記事になり、読売新聞と日本テレビがスポンサードしてくれました。
誰も登っていない山にハシゴを掛け、ロープをかけていくのは非常に労力が必要でしたが、今振り返ると良い時代に登れたと思います。
今は全部ルートが作られていますので、当時の苦労や感動は得られません。
私は山に対して征服や挑戦という思いではなく、ただ登らせて下さいという敬服です。
無理をせず自然の摂理に従い、登頂より大切なのは入った人数と同じ人数で戻ることです。
今でも山に入り続けるのは、10歳の自分の目で見て肌で感じた原体験があり、満たしたい好奇心があるからです。
◆「被災した東北の高校生を日本一の富士山へ」プロジェクト寄付募集!
http://sangakuisan.yamakei.co.jp/tohoku_fujisan/
震災・原発事故から時がたちましたが、被災地の復興はまだまだです。
そんななか、私達山や自然を愛する大人にできることは何かと考え、被災した東北の高校生に夏休みに日本一の富士山に登ってもらおうという計画を立てました。
日本一の山から、次なる東北を支える「勇気」と「元気」をもらって前へ進んでいってほしいと心から願っております。
お小遣いでも参加できるよう高校生の参加費は1人3000円とし、それ以上にかかるものについては、全国の山や自然を愛する皆様にお力添えをいただきながら運営して参りたいと思います。
この趣意にご賛同いただけましたら、本プロジェクトにとってこのうえない力となります。
どうぞご協力ください。
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