目が見えない、見えにくい人が街を歩く時、歩行に必要な段差や角などの情報を速やかに伝える“盲導犬”
日本で初めて盲導犬が活躍したのは1939年。
70年余りの歴史があるが、当初盲導犬に適する犬種はシェパードと考えられていた。
しかし本日登場するスゴい人が盲導犬訓練士になり、悩み苦しみながら行動した結果、現在の日本の盲導犬の基礎が出来上がった。
更に犬との関係性から、彼独自の訓練方法である、犬を教育する“ドッグ・エデュケーション”を確立させた。
国際盲導犬連盟が認めた世界で27人しかいない査察員の一人であり、日本では「魔術師」との異名を持つ。
さあ…
公益財団法人日本盲導犬協会
訓練育成統括責任者
常勤理事
多和田悟様の登場です!
「自立」
母は日赤の看護婦、父は近江兄弟社に勤めていて、2人は満州で出会い、1952年私も満州で生まれました。
7か月の時家族と共に日本に帰国。
キリスト教系の学校に通い、土曜日は休みなので図書館の本を読みたい放題。
12歳の時、多く本を読んだと表彰され、その特典として図書館ツアーに参加し点字の本に出会いました。
「これを読める人がいるなんてすごい!」と衝撃を受けました。
高校生になって点字を思い出し、もう一度足を運び、それ以来点字の世界に興味を持ち、盲学校の人との交流も始まりました。
高校2年の時、知り合いの牧師さんがアメリカから盲導犬を連れて帰国しました。
犬が人をサポートしている姿を初めて見たときは、衝撃的でした。
それから大学を3年で中退し、盲導犬の仕事を探しました。
初任給は1万5千円。
オイルショックの影響で給与が出ない月も続き、子犬のミルクも買えないほど厳しい生活でした。
盲導犬を育てましたが、海外では一人の人が生涯に盲導犬を5?6頭持つというのに、私の周りでは1頭目を持っても2頭目を持とうとする人はわずかでした。
自分の力量の無さに苦しみ、一時は辞めようとも思いました。
もしかしたら、訓練で盲導犬を作り上げるのではなく、生来盲導犬に適した性格の犬がいるのではと思い、イギリスに渡り繁殖場を訪れると、いたのです!まさに盲導犬になる為に生まれてきたような犬が。
その繁殖場から十数頭、日本に送られてきたのが今の盲導犬のDNAです。
それまで犬を力づくで訓練していたので、いくら訓練しても目の見えない、見えにくい人の手に渡ると少しずつ言うことを聞かなくなってしまい、2頭目に繋がらなかったのです。
それ以降、調教から訓練に変わり、今は教育をしています。
犬の素質を認め、教えて育みます。理解だけでなく納得させるのです。
納得すると、犬は自ら喜びを持って行動します。
盲導犬の機能的役割は角、段差、障害物を教える事です。
そして、それより大切なのは、手を伸ばしたらいつもそこにいること。
目の見えない人にとって、その空間の中で犬を通じて自分が存在している事を感じることは、凄く大切なんです。
自立とは人の手をどれほどうまく使うかで、自分一人でやるのは孤立であり自立とは違います。
見えない人が街を歩くには多くの人の助けが必要です。
人の想いを受け援助を通じて、今ここにいる事を喜べることが大切なのです。
◆公益財団法人日本盲導犬協会 ホームページ
「多和田訓練士が語る 盲導犬の訓練って?」掲載中
https://www.moudouken.net/
◆「クイールを育てた訓練士」(書籍)
http://www.amazon.co.jp/dp/4163597301