本日登場するスゴい人は、90年代に野村監督下で黄金期を迎えたヤクルトで主力投手として活躍。
日本シリーズでは優勝に貢献し、シリーズMVPも獲得した。
その相手は、当時最強と言われた西武ライオンズだった。
その年は「カムバック賞」も獲得した。
怪我からの復活劇だったからだ。
しかし、その後もまた怪我に見舞われてしまうが、98年には沢村賞、最多勝利投手も獲得。
怪我を克服して、成績を残すのは並大抵のことではない。
どうやって、彼はそれを達成したのだろうか。
さあ…
プロ野球解説者/野球指導者
川崎憲次郎様の登場です!
「自分を信じる」
甲子園で活躍し、高卒ルーキーでプロ野球入り。
ただ、いきなりプロの洗礼を浴びました。
ブルペンの隣で投げている先輩投手たちの投げる球が、自分の想像を超えるほど、早くてキレがある。
グラブの音の違いに圧倒されましたね。
バッターも高校時代には感じたことの無い迫力。
圧倒的なパワーとスピードで、レベルの違いに愕然としました。
大分の田舎にいたので、実はプロの世界に入るまでプロ野球を生で観たことが無かったんです。
高校レベルしか知らない自分からすれば、最初は「こりゃ場違いなところに来ちゃったな」と(笑)
しかし、そこで気後れすることはしませんでしたね。
せっかくプロになったんだから、絶対活躍したい。
みんなより劣っている部分はあるかもしれないけど、自分のスゴいところを見つけて伸ばすことで、この世界で生き抜いていこうと決意しました。
最大の挫折は現役生活最後の4年間でした。
FA宣言をして鳴り物入りで中日に移籍したものの、怪我に泣かされ、ほとんど登板できなかった。
それまでも怪我が多かったですし、その中でも何度も復活して、シリーズMVPや最多勝利投手も獲得してきました。
今までもそうしてきたように、常にポジティブに練習に打ち込んで、何とか1年間養生して、次の年から活躍していればいい。そんな風に思っていたんですが、登板出来ない期間が2年、3年と続くと心がへし折られてしまう。
野球選手であるのに、全く野球が出来ない。
これは本当に辛かった。
あらゆる治療を試しても、リハビリや練習をしても、治るどころか一向に改善が見られず、ボールすら握れない。
3年目に何とかキャッチボールが出来るようになり、二軍で投げられるようになったものの、罵声やヤジを浴びせられることもありました。
移籍に期待していた人からすれば、裏切られたと感じるのも無理はないです。
しかし、ほとんどの人がブーイングを上げる中、二軍の活動場所であるナゴヤ球場で、ある1人の方が声をかけてくれました。
「ナゴヤドーム(一軍の本拠地)で待ってるぞ!」
こういう声がある限りは、希望を捨てちゃダメだと。
結果的に勝利は上げられませんでしたが、自分なりに出来る限りのことは出来たと思います。
何かを実現するためには目標設定と思い込みが大事で、やはり「自分を信じる」ということが必要ですね。
あとは、「やることそのものを好きであること」。
苦しいと思っても、嫌と感じなければ、目標のために続けられますから。
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