子どもの頃、人気歌手の歌い方をまねて歌ってみたらウケた、という経験がある方も少なくないだろう。
本日は、「歌ものまね」をひとつの芸として確立させたスゴい人が登場する。
ひとりで男声・女声のふたつの声色を自在に使いわけ、田村正和、美空ひばり、布施明、米良美一、郷ひろみ、長渕剛など様々な歌手の歌い方をまねて歌いこなすそのスタイルが人気を博し、日本テレビ系「第28回、29回ものまねバトル大賞」で連続MVPを受賞した。
だが、そんな彼のこれまでの歩みは、波瀾万丈と言っていいほどの災難の連続であった。
さあ…
歌ものまね芸人
ツートン青木様の登場です!
「人生 自分を信じれば 何とかなるさ!」
漁師の家に育ちましたが、船酔いがひどいため漁師にはなりませんでした。
おまけに、魚を幼い頃から食べていましたが、ある日魚の骨を喉に引っ掛けてしまい、そのトラウマで現在も魚がまったく食べられません。
父に連れられ、漁師仲間の宴会で歌わされたのが芸の原点です。
16歳でバンドのヴォーカルを頼まれ、当時の人気コンテスト「ポプコン」で湘南地区準優勝を飾りました。
しかし記念レコーディングの予定をすっぽかしたため、録音は実現しませんでした。
その後18歳で国鉄に就職すると、同時期に人気だった布施明氏などの影響で再び歌いたくなり、活動を再開しました。
26歳でダンプカーの運転手に転身した頃が、歌ものまねのはじまりです。
特に、美空ひばりさんのまねが好評で、カラオケ大会に出場して入賞経験を積むうち、NHKなどからも声がかかるようになりました。
友人のテレビ出演に付き添いで行ったら、その場で自分自身も出演が決まる、ということもあったものです。
30歳のころ、当時の妻と離婚し、二人の子どもを引き取りました。
また、ほぼ同時期に、ダンプカーによる交通事故を起こしてしまいます。
不注意でダンプを上げたまま運転し、それが歩道橋に衝突。
結果として損害賠償金2000万円を背負うことになります。
子ども二人を抱えながら高額の賠償金まで負う、という苦境が現実として残りました。
「こうなったら運転手と芸人の兼業でなんとかしよう」と覚悟を決め、それからしばらくは寝る間も惜しんで働く日々が続きました。
35?6歳の頃には芸人としての活動も軌道に乗り、専業となりましたが、さらにその数年後、ゴールデンウィークのある朝に隣家からの火災に巻き込まれ、それによって家財道具や子どもたちの記録などもほとんどが焼失してしまいました。
その時はさすがに不運を嘆いたものですが、人生悪いことばかりではありません。
翌年にはものまねコンテストで2連続入賞し、これが世に知られるきっかけとなりました。
同じころに、息子の青木隆治もテレビ出演を始めています。
多くの災難に遭ってきたからか、それとも生まれつきなのか、どんなことがあっても何とかなるだろう、と楽観的に構えているタイプです。
歌を歌いたいという思いが、意外にもものまね芸につながりました。
それを通じて、多くの方々に楽しんでいただき、喜ばれることに一番の幸せを感じます。
◆公式サイト
http://www.twotone.co.jp/