“ハンドボール”
日本ではまだマイナースポーツであるが、そのハンドボールの発展に貢献しているスゴい人!が本日登場する。
現役時代は、どん底から這い上がり、努力を重ね、全日本のキャプテンまでのし上がった。
引退後は、日本代表応援団を組織し、経験の有無や老若男女を問わず、ハンドボールを体験してもらうためのイベントを企画し実行してきた。
たたかれても、たたかれても、日本を、世界を変えるため、戦い続ける。
さあ・・・元ハンドボール日本代表キャプテン、東俊介様の登場です!
「できるできないではなく。やるか、逃げるか」
現役時代は、現在のトップリーグを牽引する大崎電気でキャプテンになり、日本代表のキャプテンも務めた。
ただ、そんな大崎電気も最初から強かったわけではなく、入団した1998年は最下位を争うチームだった。
選手として華々しく活躍したかというと、決してそうではなかった。悔しい思いを何度もした。
一つは、チュニジア世界選手権。直前合宿の地、フランスで大会参加メンバーが発表されたった2人の落選メンバーとなった。
落選後、失意のどん底でありながら、チームを元気付ける言葉を発し続けた。
その後、ひたすら努力を続け、自分がどん底の時にチームのことを考えることができる精神力を買われ、次の世界選手権を目指す日本代表に選ばれた。しかもキャプテンで。
もう一つの悔しい思いは、社会的にも騒がれた中東の笛問題。
(※中東の笛問題 主に国際規模のスポーツイベントにおいて試合日程や判定が著しくアラブ諸国に有利になる事象)
失意の落選から日本代表のキャプテンとなり、全てを懸けて臨んだ試合で中東の笛が吹き荒れた。
心の底から、ハンドボールに落胆した。あまりのストレスで心身ともに異常をきたし、日本代表からも落選。
坂道を転げ落ちるように自堕落な生活を送った。
そんな時、 念願の子宝を授かり、戦う決心を再び固めた。
迎えた北京五輪アジア予選。現役選手でありながら、日本代表サポーターの少なさを懸念し、自ら応援団の団長を名乗り出た。共に戦ってきた日本代表の仲間たちに同じ思いをさせたくなかった。
もう、中東の笛はやらせない。実際にアンフェアな判定が行われると、会場でマイクを奪い、『これが中東の笛です!!』と周囲を煽った。各界からかなり叩かれた。スポーツマンらしくない。恥ずかしく、みっともない。
しかし、中東の笛は国際的に認められ、五輪予選は前代未聞のやり直しとなった。
今の目標は、日本のハンドボール界を救うこと。どうしようも無い人間だった自分がここまで成長できたのは、ハンドボールのおかげ。今は、ハンドボールは世間一般からの認知度が低いが、自分の活動でメジャーなスポーツに押し上げたい。自分を救ってくれたハンドボールを今度は自分が救いたい。
世の中にできないことは、何もないと思う。
『できるできないではなく。やるか、逃げるか』僕は、逃げない覚悟で取り組んでいる。
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