1970年渡仏。「ル・カメリア」ムッシュ・ドゥラベーヌのもとで修行。1973年CAP(国家試験)で最も優れた見習いコンクール料理部門でフランス全国で四位を獲得。
1974年フランス料理アカデミー会長を務めた大御所ムッシュ・オジエ「ローベルガードウ」その後「ホテル・リッツ」1976年南仏サントロペ近くの「レ・サントン」二ツ星、1978年レストラン「シベルタ」二ツ星でシェフをされた。
彼のフランス料理は愛情が溢れていると言われている。飾りなどで誤魔化すこと無く真っ直ぐな正統派フランス料理。お客様も家族ぐるみで長く足を運ぶ。
東京で最古のフランス料理店を継承するスゴい人!の料理にかける思いを教えていただきましょう。
さあ・・・龍土軒4代目シェフ、岡野利男様の登場です!
「チーム作り」
実家がフランス料理屋だから小さい頃から皿洗いやドアボーイを手伝っていました。修行する時に邪魔になるからと料理は一切教えてもらいませんでした。
中学3年の2学期に学校の敷地内にフランスの学校が出来たからと父が編入させてくれたのです。
同じ学年ではついていけないので小学校6年生のクラスに入学しました。
18名いて国籍が14カ国。人間的に嫌な奴はいるけど国による差別は当時から全くありませんでした。
コロンバンの娘さんと仲良くなり、フランスのシェフが日本にフランス料理を教えに来ると聞きました。駄目でもともとだと考えながらシェフに会いに行き、「フランスにいけますか?」と聞いたら受け入れてくれました。
16歳から2年間かけて労働許可書などの手続きを一切してくれ、
18歳になったら学校を卒業せずにフランスへ修行に行きました。だから、僕の最終学歴は小学校卒業なんです。
最初の仕事は小さい小玉ねぎの皮をひたすらむく事。そして、熱で真っ赤になった鉄板の掃除。
仕事を進めて行く上で重要なのは「如何に失敗できるか」です。そして失敗した過程を理解する事が大切。
3年間毎日ポタージュを作り「馬鹿か!誰だ作ったのは!」と怒鳴られる毎日でした。
お前が野菜に合わせて料理を作るものいいけど、お前の味に野菜を持ってくるのでもどっちでも良いんだぞ。お前はどっちをやろうとしているんだ?と師匠に言われました。
季節や同じ野菜でも一つ一つ個性があります。その個性を見極め、自分の理想とする状態に仕上げるのです。
人をマネージメント(キッチン全体をまわす)出来る様になったら戻ろうと決め、28歳で日本に戻りました。
18歳からフランスでしたので、最初は遠まわしに伝える日本の文化に慣れる事が大変でした。
フランスのキッチンの中は「はい。」か「いいえ。」だけ。僕が理由を聞いた時だけ部下は答えます。
上司の仕事は美味しい料理を提供する為に、チームが最善を尽くせるように動かす事のみ。そこに感情はいりません。
日本の上司の大半が間違っているのは何でこれが出来ないのか?と部下を責めること。責める必要なんて無いんです。必要なのは出来る様にサポートする事。
部下が出来る様になれば、自分は更に先に進めるでしょ。
サラダにしても個々の野菜に合った味付けをします。かき混ぜてドレッシングをかけるようなサラダは嫌いなんです(笑)
一人、一人に個性がある。それを生かすことが大切ですね。