男らしいスポーツをさせたいという親の勧めで、5歳からYMCAラグビースクール(現・ヤングベアーズ)でラグビーを始め、鞘ヶ谷ラグビースクール、福岡県立小倉高等学校を経て、慶應義塾大学に進学。
彼のラグビーの才能は一気に開花し、主力選手として活躍する傍らU19日本代表、U23日本代表にも選出された。
大学を卒業後はトップウェストのホンダヒートとプロ契約。
その後、パナソニック ワイルドナイツ(旧:三洋電機ワイルドナイツ)に移籍し、トップリーグのリーグ優勝、トライ王の称号も獲得した。
トライ王となったその年にはアメリカンフットボールにも挑戦し、ノジマ相模原ライズの一員として秋季リーグにも出場した。
なぜ彼は、アメリカンフットボールに挑戦をしたのか?
さあ・・・パナソニック・ワイルドナイツ 山田章仁様の登場です!
「あきらめない」
ラグビーを辞めようと思ったことは一度も無いんですが、高校時代は思うようにプレーができないことが続き、もっと強い高校に入り直そうとしたことはあります。
他の部員に「俺辞めるわ」って告げたのですが、翌朝には考え直してみんなに謝りに行きました。
自分だけ抜け駆けするのはおかしいし、最後までこのチームでプレーしたいと思ったんですよね。
怪我は本当にたくさんしました。
大学一年生の時にタックルで胸鎖関節を脱臼したり、試合中に顔の骨が折れたこともあります。
大学卒業後、僕は2部リーグでプレーすることになりました。
がむしゃらにプレーしていつもいい所まで行くのに、トライ王になれない。
強いチームのウィングがトライ王になると誰もが思っているので、下のチームからトライ王になってやるという意気込みでやっていました。
弱いチームを引き上げたいと思う反面、強いチームでは活躍できないかもしれないと逃げている自分もいましたね。
3年目の時に強豪の三洋ワイルドナイツに移籍するチャンスがめぐってきました。
強豪チームの選手だからトライ王になって当然だろうという、周囲の期待に応えることだけを考えてプレーをしました。
結果は1トライ足らず、2位に。翌年はレギュラーの座にも定着して、チームにも慣れてきました。
そうしたら、逆に結果が悪くなったのです。
どうしてだろうと考えたら、自分に対するプレッシャーが足りないということに気付きました。
だから、3年目は何か新しいプレッシャーを作ろうと、アメフトを始めたのです。
周りから「こいつ2つもプロスポーツを掛け持ちするという意味がわかっているのか?」と言う目でも見られるので、怪我もできないから、ウェートトレーニングにも励みました。
周囲のプレッシャーを力に変えて試合に臨んだのです。
そうしたら結果が伴って、トライ王になることができたんです。
やっぱりみんなの期待に応えられた時が一番嬉しいですね。
今後は、子供達にラグビーの楽しさを伝えていきたいと考えています。
子ども達にとっては足が速い選手がわかりやすいですよね。
幸い自分は走るポジションなので、わかりやすく伝えられる反面、責任も感じています。
子ども達にラグビー選手って本当に凄い!って思ってもらえるような活動やプレーをしていきます。
日本のラグビー選手のブランド力の底上げをしていきたいですね。
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