日立製作所を3年で退社し、単身渡米。
その後シンガポールへ渡り、海外引越しを専門とする「CROWNLINE」を設立。
また日本語情報誌「J+PLUS」や東南アジアで唯一の日本語ラジオ放送「FM96.3J+PlusRadio」を立ち上げ、今年の2月からは日本テレビやテレビ朝日、TBS、テレビ東京や電通などと協力し、シンガポールで日本のテレビ番組を放映している。
グループ全体で10か国、18支社を展開している総合メディアカンパニーを作り上げたスゴい人!が、本日登場する。
引越し事業を立ち上げた2年目、事業は順調に進む中、危機は突如訪れた。
さあ・・・COMMPTELTD CEO 森幹雄様の登場です!
「1つのトランク、ゼロからのスタート」
1980年、27歳の時にシンガポールで引越し会社を立ち上げました。
引越業界のマーケットはそれほど大きくなかったのですが、競合がいなかったのです。
まず、日本の丸の内のような一等地のビルに小さなオフィスを借りました。
JAL、日商岩井、伊藤忠商事、東銀、三井銀行などの日本企業が利用しているビルです。
名刺にそのビルの名前が入るので信用力が増すと思ったんですね。
だけど、家具を買うお金も無かったので、オフィスには敷物と電話だけしかありませんでした。
交通費がかからないので朝から晩までそのビルの中を営業していましたね。
トラックに会社の名前をペイントしてランチ時間にオフィスビルの近くを走らせたり、夕方には日本人学校の近くを走らせたりしました。
日本人の目に触れる機会を多くしたのですね。
そうしたら、競合がいなかったこともあり、引越しの問い合わせがひっきりなしに来るようになったのです。
1年目で家を購入して、ベンツも買いましたし、毎晩飲み歩きました。
人を雇って事業をどんどん拡大していきました。
現場の仕事は社員に任せて、自分は数年後のことを考えて他のアジア圏に進出するための仕事をしていたのです。
ところが、人使いが荒かったので社員がどんどん辞めていったのです。
同じ業態で社員を引き連れて独立した者もいました。
売り上げを持ち逃げしたり、業者からキックバックを受けるものがいたり…。
最後に残った自分の右腕の優秀な社員も交通事故で亡くなってしまったのです。
その後の事業でもトラブルに巻き込まれて3億円の借金を抱えてしまって、銀行との取引は停止になり、精神的に追い詰められて全く眠れなくなってしまいました。
そうしたら妻から「バッグ一つで日本を出てきたんでしょ。
バッグ一つ抱えて日本に帰ればいいじゃない。
2人の子供は私が育てるから」と言われたのです。
その言葉を聞いて「ここでおめおめと日本に帰れるか!」と思ってもう一度踏ん張ることができたのです。
そこから、死に物狂いで働きました。
しっかりと社員のこともケアするようになりました。
引越しだけに限らず、タウン情報誌を作ったり、日本語のFMラジオ放送を作ったりと多角化していきました。
また、今年の2月からは、日本テレビやテレビ朝日、TBS、テレビ東京、電通などから出資してもらって日本のテレビ番組をシンガポールで放送しています。
日本は失われた20年とよく言われていますが、私は世界にメディア展開をして日本のことを世界に紹介し、日本に元気を取り戻したいと考えています。
◆森幹雄公式ホームページ
http://www.mori-mikio.com
※一部携帯では見られない可能性があります。
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