もし・・・目の前のパソコンがいきなり壊れたら・・
想像するだけでも怖いのは、きっとあなただけでないはず。
修理に出しても時間がかかる、どこが壊れているのか全く解らない。
原因が解らなくて、すぐに使うことを最優先に買い直す人も少なくなかった。
そんな状況が今日の男の出現で変わった。
即日対応。そして、心強い電話越しのフォロー。
すでに生活の一部に入り込んでいる、パソコンの重要性。
一番の心配点を解決しようと挑戦し続けている男がいる。
さあ・・・日本PCサービス代表取締役、家喜信行様の登場です!
「パソコン生活応援隊として」
中学校の頃からパソコンが大好きだった。
Windows95の発売時も、もっと凄いソフトだと思っていた分ショックだった。
大学を卒業し、普通に就職した。結婚もした。
父親の影響か、その会社の社長に上り詰めることがなんとなく、夢だった。
しかし、どんなに提案をし続けても社長は聞いてくれなかった。半分、ケンカ別れだった。
突然の事だったので、転職をするつもりだった。でも、アタマによぎった。
起業・・・
当時からパソコンの修理への対応がまだまだ発達してなかったのを感じ、仲間と共に、パソコンの修理会社を立ち上げた。
うまくいくという根拠の全くない自信だけが、唯一の武器だった。
1,000万円を投資して、200万枚の折り込みチラシを蒔いた。
結果は、最悪の最悪。たった4人からしか反応はなかった。
全く売れない・・・立ち上げてからほぼ毎月赤字。
アタマを絞りきって融資をしてもらう企画書を書いた。書きまくった。
やっと獲得した国庫の融資も翌月からの赤字の補てんですぐに無くなってしまう。
やばい・・・子供にせがまれた三輪車すら買えない時は、子供に見えないように売り場の端で
嗚咽をこらえ、泣いたこともあった。
借金をして、借金を返し、赤字を補てんする。
そして、チャンスが舞い降りた。
僕らの活動を必要とする企業が現れ、提携した。
起業から赤字を垂れ流し続けた半年後のことだった。
今では、有償のパソコン修理においては、ほぼ、当社がさせてもらっているが、
今でも、創業後の半年間のことは忘れない。
今の夢は、アジアでの市場を築き上げること。
パソコン修理の文化づくりにたっぷり力を注ぎたいです。
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