カンボジアの産業を実業で支援するスゴい人!
中世の頃から世界一の味と賞賛されるカンボジアの胡椒。しかし内戦などの影響で生産が激減。
現地で産業を構築し、カンボジア胡椒の生産に燃える日本人がいる。夢を信じ、仲間を信じ、自分を信じて挑戦を続ける。
遠いカンボジアでがんばる男。
日本でがんばっている皆様に男のメッセージを届けたい!
さあ、倉田ペッパー倉田浩伸様の登場です。
「世界一美味しい有機栽培の胡椒作り」
兄を交通事故で亡くしました。人は明日死ぬかもしれない
それならやりたい事をし、今を生きたい。
中学3年生ホームステイからの帰国で経由した。香港にて100万ドルの夜景を観ようとスラム街の九龍を通り抜けました。貧しい人達の明かりも夜景の中にありました。
日本とアジアの経済格差を痛感し、両親に対する感謝で涙が溢れました。
ある時、カンボジアの映画。キリング・フィールドを見ました。大殺戮の意味がわかりませんでした
これがカンボジアに興味を持ったきっかけ。NGOでカンボジアに入り、難民支援をし、学校を作り。
外貨を獲得する為のフルーツ輸出業を興すが失敗。
一時帰国した時、叔父からカンボジアの農業統計資料を渡されました。
胡椒がありました。保存もきくし扱いやすいが品質が悪く安く叩かれる、農家はグラム売り。カビが生えていても関係ない。
それなら自分で栽培しよう。
政権が不安定で治安が悪い時期、順調には行きませんでした。
事務所に戻ると、スタッフに車やパソコンなどを根こそぎ盗られ辞書の間にthank youのメモ書き1枚・・・こんなこともありました。辞めようと何度も思いました。
だけど自分からカンボジアを取ったら何も無い、そのくらいカンボジアに魅せられていました。
2001年秋篠宮殿下とご接見させて頂く機会があり、“是非、胡椒を食べてみたいです”のお言葉を頂きお渡ししました。後日、丁寧なお礼を頂ました。認めてくれる人がいるなら頑張ろう。
生活が出来ず、通訳などのアルバイトをしている時、世界中の子供達の絵を展示するNGO団体からカンボジアも声が掛かりました。
子供達は絵が書けませんでした。そこで指導をしてくれた人が現在の妻となっています。
結婚し、妻からまずは、日本への輸出ではなくカンボジア国内にいる外国人や観光客に対し、「クラタペッパー」というネーミングをつけた胡椒を、地元の可愛いカゴバックに入れて販売してみようというアドバイスをもらいました。
カゴの方が胡椒より目を引くなんて、当時、凄く悔しかったです。
これがきっかけで日本にも輸出されるようになりました。今となっては理解出来るし妻のお蔭です。
これからはアンコールワットと同じぐらい、カンボジアの胡椒を世界的に有名にさせたいですね 。
2010-10-22
取材:櫻井智之
タグ:ビジネス・経営者
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