国民生活の向上のために国内外の公益活動を幅広く助成し、支援している公益財団法人の会長が本日登場する。
『現場こそ全てだ』との信念に基づき、1年のうち1/3は海外の僻地へ出向き、支援活動をしている。
国際平和に寄与してきた長年の功績が認められ、国際ガンジー賞、読売国際協力賞をはじめ、数々の賞を受賞した。
人を支援する上で大切にするべきことは、幼少期に学んだという。
幼少期の経験から得た気づきとは?
さあ・・・公益財団法人日本財団 会長、笹川陽平様の登場です!
「行動する国際人を目指して」
16歳まで、母と兄弟で暮らしており、父は写真の中でしか見たことがありませんでした。
中学から高校に進学する時に、父に初めて会いました。
「勉強するのであれば東京に来るか?嫌ならこんでいいぞ」
返事の余裕も無く、たった一言だけを残して立ち去ってしまいました。
大阪から東京に出て、父と暮らすことになりました。
父の家は、笹川ホテルと言われるくらい、毎日大勢の人が父を訪ねてきては、宿泊していました。
私の日課は、毎朝6時に起きて家中の掃除に始まり、来客の靴を磨き、父の車を洗車し、弁当を自分で詰めて、学校に登校すること。
学校から帰ってからは、まず、洗濯とアイロンがけをしました。そして、来客の料理の給仕をして後片付けをすると、寝るのがだいたい夜の12時を回ります。
アイロンがけをするのが得意だったので、将来はクリーニング屋をやろうかと考えていました。
ある時、学校に行くズボンに穴が開いたので、父に相談したら、「俺のを穿け」とズボンをくれました。でも、サイズが大き過ぎて、ウエストを折り返して、穿いてもまだ余っていました。
人生、生きることは大変なこと。でも、大変かどうかは心の持ちようです。生まれ落ちた瞬間からリスクを伴う。だから、生き抜いていかないといけません。
この幼少期の経験から、人の心の痛みがわかるようになり、誰とでも対等に思いやりの気持ちを持って自然に接することができるようになりました。それらは日本財団で働くようになり、人助けをする上で、役立っています。
私のモットーは、徹底した現場主義です。年間の1/3は海外の僻地に出張し、実際に現場に出て活動をしています。日本財団では、「疲れた」、「つらい」などの言葉は厳禁しています。仕事で疲れるのは当たり前だからです。ヘトヘトになるまでやって結果を残すのがプロフェッショナルです。
問題解決は、頭で考えているようではダメです。現場に行って、体験をして
『体で考えて』解決策を出さないと大きな成果は期待できません。
現場を踏まえた上で、懸命に働いて、初めて仕事をしたことになるのです。
いつの時代も世の中を変化させるのはあなた方、若者です。
私は若者の人材教育・人材育成に残りの人生をかけていきたいと思っています。
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