慶応元年(一八六五年)に創業した老舗豆菓子店の6代目店主が本日登場する。
高校、大学とラグビー漬けの毎日を過ごし、理不尽な仕打ちに耐え続けた。
大学卒業後はすぐにお店を継がず、アメリカへと放浪の旅に出た。
他の人から見ると一見無駄に見える理不尽な経験やアメリカでの放浪の旅も、重要な意味があったという。
その中から見えた人生哲学とは?
さあ・・・株式会社豆源代表取締役 柴田元気様の登場です!
「理不尽さも大切」
高校生の時先輩からラグビー部の練習を見に来ないかと誘われ試しに参加してみました。
体力には自信があったのに吐きそうな程辛い練習でした。中学生時代に自分が馬鹿にしていた友人達がラグビー部のハードな練習を平然とこなしているその姿に感動し、ラグビー部に入ることを決意しました。
大学のラグビー部ではあまりにも理不尽な“しごき”が行われるのを目にして、25名程いた部員の大半は高校でラグビーを辞めました。
しかし、自分は絶対に大学でも続けると決め大学のラグビー部に入部。
後輩から先輩に声をかけてはいけないし、目もあわせてはいけない。色々と理不尽な仕打ちも受けました。
でも、どんなにつらいことがあっても歯を食いしばって耐え部活を続けていました。
そんな中大学3年生の時に父が他界しました。
周りからは家業を継ぐにしても3年程は他で働く事を勧められましたが、自分が入社する事で本当にその会社に入社したい人が一人入れなくなると思い、違う選択肢を考えていました。
映画「羊たちの沈黙」をみて、アメリカという国はこんな狂気まで極上のエンターテイメントにしてしまうのかと衝撃を受け、1年間だけアメリカに行こうと決めました。
今迄は体育会系で拘束される毎日でした。
それに比べてアメリカでは全て自分で決められる自由な時間です。
まずは、英語を学ぶために3ヶ月ホームステイをし、友人から車を譲り受けアメリカを西から東へ旅しました。
大自然を感じたくなり国立公園を周る事にしました。
地平線まで広がる星空を見たり、インディアンの生活を見たり、自分を見つめ直す時間を過ごしました。
帰国後、お店を継いだ頃、売上は低迷していました。父が亡くなる前に工場を立て直していたのでいかに安定して稼働させるかが課題でした。
毎日試行錯誤を続け、今では多くは作りませんが各地へお店を展開するようになりました。
今から考えればラグビー部時代に受けた理不尽な経験もアメリカで放浪した時間も必要だったと思います。
情報化社会になり現地へ行かなくても世界中に行った気持ちになれますが、自分の目で見たり感じたりする事を拠り所にする事が生きている実感へとつながるのではないでしょうか。謙虚さを兼ね備えた自己主張が大切。
これが私のこれまでの人生で学んだことです。
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