ゆずの種から育てられた接木をしていないゆずの木が、日本に2000本だけ存在している。
その樹齢は、なんと200年超。
当時のゆずの常識では商売にならないと言われたが、諦めず、そのゆずの木を後世に受け継ぐために守り抜くスゴい人!が本日登場する。
その味は、国内のみならず海外からも高く評価され、ミシュラン3つ星のフレンチレストラン ジョエル・ロブションのオーナーシェフからも絶賛されている。
彼がゆずにこだわる理由とは?
さあ・・・株式会社カネトシ代表取締役社長川島弘明様の登場です!
「ゆずバカ」
大学を卒業後は、ミサワホームに就職しました。
将来は独立したいと思っていたので、短期間で色々なことを吸収しようと心に決めていました。
朝6時には会社に出社して、夜も社員の中で一番遅くまで働いていましたね。
会社に泊まり込みで仕事することもしょっちゅうでした。
朝早くに会社にいると、ミサワホームの三澤千代治社長の出勤時間と重なることがよくあり、度々声をかけてもらっているうちに親しくなりました。
2年が経ち、ミサワホームに辞表を出した時に社長から電話があり、ご自宅に招待され、息子が新しい会社をしているので、家業をたたんで右腕として働かないかというお話をいただきました。
しかし、事業を興すのが自分の“予定”だったのでお断りをしたところ、その場で筆を取り「事業をやっていれば死ぬ目に遭うこともあるでしょう。
何かあったら私を頼ってください」と手紙を書いてくれたのです。
これには本当に感激しました。
会社を辞め、地元の神戸に帰り、着々と起業の準備を進めていました。
「いよいよ明日から営業開始するぞ!」
と思っていた矢先に、阪神大震災が発生したのです。
オフィスにする予定だった家は傾き、新品だった家具もつぶれ、中はぐちゃぐちゃです。
呆然としていた時に三澤社長の手紙を思い出し、電話をしたのです。
神戸の震災復興拠点として土地を提供するので自分の机を置いてもらえないかともちかけ、その2階部分を自分のオフィスとして利用させてもらえることになりました。
何かしなくてはならないと思って、実家のゆずに着目をして、搾ってジュースにしたりポン酢として売り出したりしました。
当時のゆずの常識では柚子湯や皮を料理に使う以外に果汁の用途が殆どなく、枯木のゆずは事業として成り立たないと言われていました。
まずはブランディングが必要でした。
デパートの催事コーナーで販売している時に、うちのゆずのファンから、ロブションのオーナーシェフが今マカオのレストランにいるので味見してもらったらいいとアドバイスをもらったのです。
直ぐに飛行機に飛び乗り、レストランへ直行しました。
アポイントはありませんでしたが、なんとか会うことができてゆずを味見してもらったところ、味の良さを認めた上で「君の生きざまに共感する。ゆずを広める際に名前を使ってくれていい。」とサインしてくれたのです。
この時は、自分のゆずが認められて本当に嬉しかったです。
一人でも多くの人に、普通なら滅んでいたであろうホンモノのゆずの味を知って欲しい。
その思いで、先祖代々受け継ぐゆずの木をこれからも守り育てていきます。
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