メリヤス(ニット)問屋「サンメリヤス」の3代目として生まれ、敗戦の混乱の中彼は闇市で商売を始め、主にアメリカ製品の取り扱いで身を起こした。
その後、美しいものを販売することを軸にして、グッチ、エルメス、ロエベ、パティック、ピアジェ、バカラ、ラリックなど欧州の一流ブランドを揃えたセレクトショップを、昭和39年春、銀座並木通りにオープン。
戦後の日本人に美しく贅沢な文化を伝えた。
日本にインポートブランドのビジネスが根付いたのは彼のおかげと言っても過言では無いだろう。
さあ・・・株式会社サンモトヤマ代表取締役会長 茂登山長市郎様の登場です!
「文化を売る商人」
ニット問屋の3代目として生まれたから後を継ぎたいと思っていたのですが、昭和16年12月に大東亜戦争がはじまり、直ぐに戦地の中国の天津へ引っ張られました。
当時の天津は租界として治安が良く、ちょうどクリスマスの時期でしたので、まるで今の銀座の街のように大変な賑わいでした。
ナイトクラブ、映画館、ブランド街・・・
ファッションが好きでしたから、デパートのウィンドウをよく見て回りました。
日本にはない外国の綺麗な色の洋服をみて、「文化の落差」に衝撃を受けました。
また総天然色の“風と共に去りぬ”を見た時は驚きました。
これは大変な奴らと戦争したと。
もし生きて帰れたら外国の美しいものを売ろうと決めたんです。
その時にひらめいたんですね。
それから5年間戦争をして、最後は南支の西湖で捕虜になりましたが、運よく日本に帰ってくることができました。
復員してからは、有楽町駅前にあった父の店のオフィスを借りて商売をしていました。
昭和30年、有楽町駅の反対側に店を構え、株式会社サンモトヤマを設立。
昭和34年に初めてヨーロッパへ渡航して、それから年2回以上は通い、これはいいと思う店があったら戦争で体験したアタック精神と自身の直観力を信じて日本でぜひ売らせて欲しいとお願いし、ついに、昭和37年にはグッチの独占販売権、昭和39年にはエルメスのフランチャイズの権利を獲得できました。
念願かなって、昭和39年3月9日、本店を日比谷三信ビルから銀座並木通りに移転オープンしました。
店頭にはエルメス、グッチ、ロエベの革製品、パテック・フィリップとピアジェの時計、ラリックとバカラのテーブルウェアなどを揃えました。
決して大きな店ではありませんが、全部自分でヨーロッパにいって自分で好きなものを買い付けて、店に並べました。
当時外国の物だけをセレクトして売っている店は、西武ピサとうちだけでした。
お客様には、政財界、芸能界、文壇の人たちなどが来店され、当時はまるでサロンのような賑わいでした。
これまで、いろいろと嫌なことも失敗も沢山ありました。
でも戦争で何度か死線を越えてきましたから、あの時、もし戦死でもしていたらと思えば多少の失敗くらいはなんとも思いませんでした。
もし、ダメだったら反省して直ぐに忘れるだけです。
今90歳を過ぎて思うことは、所詮、人生というものは“運”と“縁”です。
誰に会ったか、誰に会えたかで決まるものです。
だからこそ、私は人との出会いを大切にしています。
タグ:ビジネス・経営者